Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?|それまで|これから
| 2004年03月23日(火) |
いかりや長介とザ・ドリフターズの栄光 |
死去の報を聞いてから丸二日経ったが、「いかりやさんショック」はまだ続いている。ある程度の予想はついたものの、それでもここまで応えるとは思っても見なかった。私にとってドリフの存在がどれだけ大きかったか、今さらながら痛切に感じている。
いかりやさんが亡くなった今、インターネットのそこかしこでドリフターズを懐かしむ声があがっている。多くは自分の思い入れを絡めて情感たっぷりに「私にとってのドリフ」を語る、という形式だ。そのおびただしい分量の文章を読んでいると、ドリフがいかに多くの人々に支持されていたのかが良くわかり非常に感慨深い。私も当然、支持層のひとりであるから一連の追悼文を読んでいると大変触発される。そこで今回は私なりの「ドリフ論」を勿体つけて披露しようと思っている。ただし、自分の主観を入れるのは極力やめたいと思う。他の日記と同じ趣向ではありきたりに過ぎるからだ。感傷的な文章よりもドリフの功績を分析したほうが読んでいる人も面白いだろう。主観の目から完全に逃げることは出来ないだろうが、できるだけドライな目で、ザ・ドリフターズが日本のコメディアン史に遺したものを検証してみたい。
さて、話は前回の私の日記にさかのぼる。私はあの時、「いろんな意味を含めてドリフこそがテレビの能力を100%活かすことのできたグループだったのだ」と書いたはずである。この意味を具体的に説明することから始めよう。テレビ草創期以降、クレイジー・キャッツやコント55号、渥美清や森繁久弥、あきれたぼういず、のらくらコンビ、てんぷくトリオなどといった大スターが次々と現れた。ドリフはこの系統(特にクレイジー・キャッツ)の後輩にあたるのだが、正直言って欽ちゃんや渥美清、あるいは植木等などに比べれば、ドリフターズの面々が才能的にやや劣っていたことは認めざるをえないだろう。唯一、その点において突出していたのが志村けんで、彼はその他の4人とは「笑い」に対する志向性が明らかに違う部分が散見される(志村は基本的に楽器が弾けない)。その意味では志村はドリフ以前の日本のお笑いと、それ以降の「漫才ブーム」から来たお笑いの架け橋を努めたと言える。話は戻るが欽ちゃんたちは本当に才能の塊で、1981年生まれの私はもちろん全盛期を知らないが、時々放送される「懐かしコメディアン特集」などでその非凡さを充分すぎるほど理解している。対するドリフは、欽ちゃんのような動きのキレはなく、植木等のような音楽的センスと都会的なシャレた雰囲気は感じられず、渥美清のような居ずまいの可笑しさも乏しく、森繁久弥のような飄々としたノリも足りなく、ビートたけしのような狂気じみた才能にも欠けていた。しかし、だからと言って「ドリフターズはつまらない」という単純な図式にはならないのである。彼らはテレビというメディアを最大限有効に使うことができる、何物にも代えがたい素晴らしい能力を持っていたのだ。これぞ彼らを長い間頂点に君臨せしめた、天賦の技能なのである。
ではテレビを有効に使う能力とは一体何なのか。その前に、テレビの構造的根源的な性質において述べておこう。元々テレビは視聴者に伝染的な特性を与える機械である。例えば、ある男Aが今、料理番組を見ているとする。Aはテレビに映るビーフシチューを見て、「おいしそうだなあ」と口にする。それを横にいた男Bが聞いて、思わず顔を上げて画面を見る。そして同じく「美味そうだ」と感想をもらす。すると男AはBのセリフを聞いて腹を空かす。その様子を見てBも腹が減ってくる。それを見たAが・・・という様に、連鎖的に視聴者を感化させる作用が働くのがテレビなのである。上記の状況下では一人で見るよりも二人、二人よりも三人と、人数が多ければ多いほどより各自の腹が空く仕組みになっている。料理番組はいかに美味しそうな料理を作って視聴者の腹を減らせるのが目的であるから(つまり、スポンサーの商品を買って番組のような美味しい料理を作りましょう、とたきつけるのがアチラの作戦なのである)視聴率とは別に、一台のテレビの前に何人の人間を座らせるかが重要になってくるのだ。無論、この方式はお笑い番組にも当てはまる。一人で部屋にこもって見るよりも、多人数でわいわい見たほうが確実に面白いのである。
では冒頭の命題に戻ってみよう。ドリフが抜群に優れていた能力とは、他でもなく、この「みんなで見ることによって面白さを増幅させる」ことだったのである。彼らはテレビの特性をよく理解していた。この世界で長く覇を唱えるにはテレビを自分に合わさせるのではなく、テレビに自分をあわす必要がある。そこで彼らは一人でも多くの人間を同じテレビ受信機に釘付けにするような作戦を取った。つまり万人に受けるように番組を作ったのである。具体的に言えばそれは徹底的に子供の目線に立った番組作りをひたすら遂行することだった。(いかりやさんは「子供向けに作ったことは一度もなかった」と言っていたが、これはおそらくいかりやさん特有の照れ隠しではないかと思う)。これはコロンブスの卵的な盲点を突いた、いかにも上手い考えである。子供を味方につければその子供の両親が見始めるはずである。両親が面白がれば、ママさん達は近所の公園で「『全員集合』って下品でや〜よねぇ」などと言いつつおしゃべりに花を咲かし、父親は会社の上司に「うちの愚息はあんな番組が好きでホントに困っちゃうんですよ」と無意識のうちに番組PRをする。上司は部下の気持ちを知りたいと常々思っている生き物だから、試しに土曜八時にチャンネルをTBSにあわせて見てやろうとする、その結果見事にドリフの術中にはまる。その上司が社長に呼び出され、「近頃の若いもんの考えることはよう解らん。何か共有できるような話題はないかね」と面倒くさそうな表情で言うと、上司はもみ手で「それなら『全員集合』というテレビ番組をご覧になったらいかがでしょうか」と提案し、社長もドリフの餌食となる。その社長が何かの記念パーティーでライバル会社の社長と同席し、「ほう、貴方は『全員集合』をご覧になってないのですか、それじゃあ我が社を追い抜くことは出来ませんなあ」と嫌味たっぷりに言う。ライバル社長は躍起になって番組を見て、それを・・・と言うように、子供を第一視聴者にすると、ねずみ算的に視聴者は増えてゆくのである。そして、両親と子供、学校の友達と先生、職場の部下と上司、それぞれが楽しさを共有することによって、ドリフの笑いはより輝いたのだ。よくよく考えてみれば、テレビのバラエティー番組は仕事に忙しくて子供に構っていられない大人が子守唄代わりに見させたものであるから、子供主眼のバラエティー戦略は、高度経済成長期の家族形態の深部まで滑り込むまさにグッドアイデアであったのだ。よく「全員集合」は「俗悪番組」と常に叩かれ続けてきたと聞くが、これはウソあるいは誇張が激しいのではないか、と私は思っている。そんなことを言うのは、朝の紅茶にバルバドス島の角砂糖を淹れて飲み、三日に一度の割で晩酌のお供にキャビアをたしなみ、座ると溺れそうなぐらい深いソファに腰を下ろし、屏風ぐらいの大きさのテレビで番組鑑賞なさるような上流階級の人たちだけで、一般大衆の大人は低俗だと思いながらも密かに面白がって見ていた公算が高い。実際今見てみても、それほど俗悪だとは思えないのだ。ドリフが我々に提供した笑いは基本的には下ネタに依拠していたが、これにも�.Ε鵐灰優燭鉢▲┘蹈優燭瞭鷦鑪爐�あって、ドリフは�,鬚笋襪海箸呂△辰討皚△鮗茲蠑紊欧襪海箸呂覆�った(志村をのぞく)。�△鬚笋襪伐搬欧澆鵑覆埜�ることが出来なくなるからである。最近のお笑い芸人を貶すつもりはないが、たけしや・さんま・タモリや、ダウンタウン、とんねるず、ナイナイ、爆笑問題といった最近の人はすぐに�△冒�る傾向があり、故にみんなでみて面白さを倍化させることは出来ない。ドリフより後の芸人達が使ったこの深夜番組的な制作姿勢は、容易にコアなファンを獲得することが可能であり、「孤独の時代」と言われる今の風潮にあった供給形態とも言えるが、代償として失ったものも大きい。また、欽ちゃんや植木等などの昔の芸人は�△鯊人僂靴覆�ったものの、ドリフのようなテレビを完璧に生かす番組作りをしていたとは言えないだろう(欽ちゃんは「視聴者いじり」という新境地を開いて悪戦苦闘していたのが印象深いが)。「テレビで家族と共有する笑い」という芸当を成し遂げたコメディアンは本当にドリフ以外には見当たらないのだ。彼らは笑いを押し付けるようなことはせず、ただひたすら視聴者を楽しませることに徹した。その結果として王者の地位に長く留まり続けたのである。存在自体が稀有としか言いようがなく、いずれまた同じようなグループが出てきたとしてもテレビを巡る家族形態が変化してしまった昨今では新たな旋風を巻き起こすのは至難の業と考えるに易しい。テレビの効力を全て引き出したザ・ドリフターズはやっぱり偉大だったのである。
※明日テレビ朝日で放送される「ドリフと光子の爆笑劇場」では加藤と志村の歌舞伎牛乳コントが収録されているようである。このコントは加藤&志村の作品の中でも1、2を争うほどの面白さと記憶している。まあ、あんまり期待をかけると逆効果なので、暇でもあれば是非見てみてくださいとだけ言っておこう。本当に面白いですよ。
橋本繁久
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