Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2004年03月21日(日) 時間だよ 仕方がない

いかりや長介さんが亡くなってしまった。まだまだやるべきことがいっぱいあったのに、病魔に侵されて密やかに旅立ってしまった。なんと悲しく、悔しいことだろう。私はいま、とてつもない虚脱感にみまわれている。こんな気持ちは渥美清が亡くなって以来のことである。

私がドリフを見始めたのは物心つくよりはるか前、掛け値なしに考えても生まれた瞬間から既に体験的に知っていたはずである。何しろ父親がドリフの大ファンで、「8時だよ全員集合」も「ドリフの大爆笑」も「ドリフと女優の爆笑劇場」も全て欠かさず見るほどの熱烈なフリークだったのだ。私は毎週「全員集合」のオープニングテーマを子守唄にして、さながらインプリンティング的にドリフに好意を寄せていった。3歳ぐらいになると、もう完全に「教育テレビは探検ぼくの町、ヒーローはシャイダー、コントはドリフ」という方程式ができあがっていた。父親と同じ頭脳構造を持っている私がドリフを面白がらないわけがないのだ。「全員集合」の末期から本格的に見始め、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「だいじょぶだあ」を挟んで、去年12月に放映された「40周年だよ ドリフ大爆笑」までほぼ欠かすことなくドリフの番組を追ってきた。感覚的なところでは、5人のメンバー全員が自分の身内のような存在であった。それだけに、この訃報は信じられない。信じたくない。

私がいかりやさんに対して抱いていたイメージは「15年にも及ぶ激戦を見事勝ち抜いた指揮官」というものである。「全員集合(ごきげんテレビも含む)」というお化け番組は、途中「欽ドコ」や「ひょうきん族」といったライバルに何度も立場を脅かされながらも、最終的には勝ち越しを決めた稀有な存在である。「笑い」のポイントゲッターは加藤や志村がその役を一向に引き受けてきたが、それも、いかりやさんがメンバーをしっかりと引っ張っていたからこそ成り立っていたものであり、85年以降、各個人でのテレビ出演が増えるようになってからも、「根元のところでいかりや長介がいる」という安定感がなかったらこれほどまでに支持はされなかっただろう。いかりやさんこそドリフの最重要メンバーであり、いかりやさんがいないドリフなど考えられない。と言うことは、いかりやさんの死は「ザ・ドリフターズ」の歴史が残念ながら終焉を迎えてしまったことを意味する。 今さら「ひとつの時代が終わった」などというありきたりな表現を使いたくはないが、ドリフの完全終結は戦後のコミック・バンドを基調としたコメディアン・グループの最後の砦が完璧に崩れてしまったことと同義である。「漫才ブーム」以降、こういった趣向のお笑いグループが出てこなかっただけに、お笑いの中のひとつのジャンルが絶滅してしまったことを遺憾ながら認めざるを得ない。いろんな意味を含めてドリフこそがテレビの能力を100%活かすことのできたグループだったのだ、と私は今ながら感じている。欽ちゃんやビートたけしは本来演芸的な才能を持っているため、テレビで全ての力を出し切ることは不可能である。もちろん、今のお笑い界を見渡してみても、ドリフのようなグループは全く存在しない。

「全員集合」をやっていた頃は毎日が戦争のような忙しさで、休むヒマなど全くなかったという。お笑いはしょせん日銭商売、流行り廃りが激しいこの世の中で、しかし20年以上もトップの地位に君臨し続けるには想像を絶するような努力が隠されていたに違いない。一意専心というか、ひとつのものに情熱を捧げた人間の心意気がしみじみと伝わってくる。さようなら、いかりやさん。本当にお疲れ様でした。


橋本繁久

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