やっとハウルを観に行った 映画は色が素晴らしく 帽子屋の外壁やクラシックな内装 ずうっと空から見る 緑に囲まれたカラフルな建物群は おもちゃ箱が並んでいるみたいに美しい それはハウルの部屋にも似ていて 壊されないようにわざわざ 過剰に装飾されたようにも見える
その街を何が脅かしているのか ハウルがサリマンの何を恐れているのか その理由がどこかはっきりせず ちょっと物足りない印象があって ストーリー的にもまとまっていた 千尋の世界と比べると 見終わったあともやもやが残った
けれど ハウルが望んでいた自由を 例え囚われの身であろうが どんなに抜き差しならない関係にあろうが 外的な状況に左右されない 本当の魂の自由だったのだと想像すると そのもやもやは大切な鍵となることに気付いた
今同じようにそこに居ながら 真の自由を獲得するためには 自分で作り出している 自らを脅かすものに気付かねばならない 敵なんて本当はいない 争いは仮想の敵を作ることで起きる 守るべきものもこころひとつで かんじがらめの枷と変わるように 世界はわたし次第なのだ
どこにも属さず 自由に場所を変えられる城の中で 過剰な護符やお守りに囲まれても 自由を得られなかったハウル 自由を望みながら 知らずに作り出していた檻にも気付けず ひとりで格闘し漂流していた
彼の作り出している世界は 異質の価値観を持つソフィーとの出会いによって 大きく影響を受けて行く いばら姫は王子様のキスで 少女の眠りから覚めて大人へと変わったけれど 現代の寓話は 役割もジェンダーフリーなのだった
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