帰郷の一週間の印象を組み入れ 自分の中で再構築を あれやこれやと試みてみるものの なんだかまとまらず 飲んで歌って話して 全放出した後のフヌケ状態
こういうとき 何も考えず そこにいれば自然と仕事になる そういう場所があるのは有難い 自発的に動かなければ 何も始まらない仕事だけだったら 反芻だけで終始するだろな
ウェットな盆地の暑さは ちょっときついけど からだの芯はすっきりと軽く なのにモヤッてしまうのは わたしの人生このままでいいのかと 突っ込みが入るからなのだった
その突っ込みは 帰る前の晩 まるで以前働いていたスナックの 同窓会みたいになった席で ママがわたしに囁いた言葉に代表される 親もたぶん同じような気持ちで いつまでもやくざみたいな暮らしを 心配しているに違いないと思えるような まっとうな言葉
そういう視点を持ち込むと 未来は俄かに曇り まるで方向を失いはじめる これまでも迷いながら 僅かに希望が感じられる方へと 手探りしてきた全てのことが 意味のない横道へと消えそうになる
でもきっと どんなにわたし自身が 確かさを感じ満足の行く生き方をしても 別のスケールを当てたら 測りようのない人生になってしまう 本当はきちんと測れることなんて何もないのに 幻想の尺度の中に 他人も自分も納めておきたくて それが相手にとっても幸せと思う人はいるのだ
帰ってからしばらく そのスケールを借りてみて辟易した なんの着地点も シアワセな構図も浮かばない 4年を過ぎた今だから こんな洗礼も必要だったのかもしれない
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