ピロリ菌根絶を祝して 友人とお酒を飲んだ 前回は確か退院して間もなくの 投薬が始まる前だった なんとか切らずに済ませたものの 長く患っている病状の原因が ピロリ菌にあるかもしれず 医者はデータ−がないと言ったようだが それは絶対必要だと思えた
もちろん 保菌者の全てが 同じ症状を発症する訳ではないから それ以外の固有の要因も無視できない だからこそ 考えうる改善策を ひとつずつ試していくよりない これでもしまた症状が出るようなら その症状を少しでも軽減できるように 変えられるものを変えたらいい
誰もが同じ環境に置かれて 同じように身体症状を発するとは限らない けれどだからこそ カラダのサインがあったときは 人とは違う自分の個性を見つめる 大切なきっかけになる そのきっかけは一度逃しても 本当にその人らしい生き方ができるまで 何度でも症状というかたちで表れるのだと思う
うそのように落ち着いた この頃の上のコを見ても たぶん同じことへ繋がっている気がする 無意識に攻められる 当たり前にこうあるべきという方向ではなく 彼は彼なりの何かを探している この狭い価値観の田舎で そこから一度自由になって 自ら主体的に何かを選びとることは 大人になってからこの地にきたわたしより 遥かに大変だろうと思う
その繋がりを 友人に感じていたのかどうか 近くに友人が入院していたとき 自分の通院のあと 今日は寄らないのと お見舞いに行くのが常だった だからって何を話す訳ではないけれど 中学の頃から暗黒時代が始まったという友人に 他の人には理解できない 共通の何かを感じていたのかもしれない
どんなに選びようがないことの前にいても その都度選択権は自分自身にある こころから素敵だと思える自分像は 他の誰にも解らない だからせめて 楽しい時間や 痛みとは無縁の時間を重ねる中で 少しずつ探して行けないだろうかと願う
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