日いちにちと記憶の断片が欠け やがては今この時に考え感じ 表現したことも留めておくことができなくなる それは例えばわたし達が無意識に 自分の都合のいい記憶だけを拾い ただ経験したことそのものではなく 時には苦労ばかりに偏ったりしがちな 物語を紡ぐちからがなくなるということかもしれない
およそ精密な機械のように 正確な記憶があることを前提に 仕事や日常が廻っていて 社会の一員として生きていくためには 憶えていなければならない約束ごとが 沢山あるように思える けれどそれすら本当は わたし達ひとりひとりが作り出している おおきな共通の物語のようで 時にはお互いを縛る鎖にもなり得る
その鎖が 自ら望んで解こうとした訳ではないのに 病によって切断されていく 全てが切断されたそのあとも 夫婦の鎖はつながっているからと妻は言う わたしがずっとそばにいます その言葉で結婚という契約を もっと堅い約束にして 夫を支える妻の物語の中に居続けようと頑張る
厳然と告知された病を わたしのこととして受け止めようと思い観ながら それ以前にどうしようもなく苦しかったのは この夫佐伯と妻枝実子のそれぞれの生き方なのだった ふたりは懸命に日々を暮らしていて 病に向かうべく努力を重ね 時には怒りお互いに感情をぶつけ合い 涙を流しているのだけれど 彼らと共に感情を表現するためには 同じ物語を大切にできる自分でなければならない気がした
観ながら涙できなかったのは 病名の宣告があまりに早かったせいもある それ以前の異変のエピソードでは 病に繋がる必然性を感じるまでに至らず 感じていたからこそ受け入れられず怒った佐伯にも 充分に共感できずにいた そのためには少なくとも 同じだけの人生の時間を共有しなければならない 病気がどんどん進行する中で いったいわたしはどうやって病を受け入れたらいいのか 手掛かりがないままだった
あらゆる物語からはずれようと指向するなら むしろその病は自然なものに思えたりもした けれどそこまで確固たるものを持っておらず なのに時には反逆的に 人が作る物語をぶち壊したくなるわたしも 偏った視点で仮想の物語を作っているに過ぎない それは何層にも巻かれた輪のように きりなく自分自身を囚えて行くのだ
その囚われが解けたとき ようやく涙することができた 他人が作る物語を認識しながら それでもこれでいいのだと語る老人のお陰で ただ食べ飲んで唄い生きている実感を享受すること つかの間実感するそのことが 明日の記憶になくても 確かに生きていた事実はなくなりはしない
どの物語からも抜け それでも生きているということは 自由そのものに思える もし自分がその主体ではなく 傍らにいるとしたら 語り部として寄り添うのかもしれない ずっと傍にいると約束するのでなく あなたがあなただから好きなのだと思うその瞬間の 重なりの向こうで
|