ノーエの日記

2003年06月01日(日) カッコ悪さの美学。

幕末つながりで山本周五郎さんの「天地静大」という作品をとある掲示板にお薦めの言葉を書きこんできました。
群雄割拠の時代、坂本竜馬、新撰組、西郷隆盛、桂小五郎、等など主役に置いて不足ない面白い人物が山とある素材でありながら、敢えて“英雄”を描かない山本周五郎氏。
「天地静大」に限らず、氏の作品に出てくる主人公達は、皆何処か弱さを抱え、悩み、女にだらしなかったり、何を考えているのかわからない、傍から見てると煮え切らない、なんともカッコ良くはない人物が登場するんですが、物語が進むにつれて、その『カッコ良くない主人公』の『カッコ悪さ』こそが『カッコ良く』見えてくる。
それがとても心地良い。魔法を掛けられ野獣になった王子が真の姿をやがて現すような、爽快感があります。(う〜ん、表現に問題ありか?笑)
山本周五郎作品の主人公に共通する点があるとしたら、『優しさと潔さのダンディズム』なのだろうと思うのです。

そう言えば「カッコ悪さの美学」と銘打って、なかにしれい氏が俳優市村正親氏の為に詩を書き、それがアルバム化された事がありました。それも『優しさ』が突き詰められた内容でした。(ちょっとこれはマニアック過ぎてお薦めして良いのかどうか疑問なのですが…爆!)

「カッコイイとはこういう事さ――――。」
『紅の豚』ポルコ(マルコ)は最初から、最後までカッコ良かったよね。『優しさと潔さのダンディズム』が正面から描かれていていました。


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