武ニュースDiary

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| 2004年01月07日(水) |
「十面埋伏」とアニタ・ムイ� 平景酵鑛鵝� |
大陸の新聞によると、アンディ・ラウは7日に永川に行き、 10日まで撮影を行なって、アニタの葬儀のため、香港に戻ると言われています。
11日頃、永川での撮影を終了、その後、再び北京に戻って、 セットでの室内部分を撮影、月末にはクランク・アップというスケジュールになりそうです。
ところで、亡くなったアニタ・ムイですが、 これまでの新聞ニュースだけを見ていると、 なぜ、重い病気のアニタがずるずると出演を辞退せず、 その結果、撮影は遅れ、脚本の書き直しを招くことになったのか―― このような影響をこうむっても、 なぜチャン・イーモウは、アニタをそこまで大切に扱うのか―― アニタが優れた女優だったとしても、今ひとつわかりにくいように思います。
一昨日(1月5日)の中国の晨報に、アニタ・ムイとこの映画との そもそもの関わりからをまとめた記事が載りました。 多少とも理解を深めるために、ご紹介してみます。 長いので、2回に分けます(もしかしたら3回)。
なお、アニタの好きな歌手は西城秀樹と、先日のプロフィールにありましたが、 少女の頃は、香港のファンクラブの会長を務めていたそうです。 (8日の↓の西城秀樹の言葉によると、副会長) 明日のりんご日報に、西城秀樹がアニタのために追悼のコメントを寄せると、 アジアン・ドロップスのメールマガジンにありました。
私は病気です。それでも私を使いますか
アニタ・ムイは、「十面埋伏」に登場できずに終わった。 この、チャン・イーモウ監督、アンディ・ラウ、金城武、 チャン・ツーイー主演による武侠大作は、 アニタ・ムイを失って、埋めることの出来ない無念を残した。
アニタ・ムイは命の最後の時間に、最後の気力をふりしぼり、 大切な歌と映画のファンに、 自分の芸術の思い出を少しでも多く残したいと必死だった。 彼女は一度ならず、「十面埋伏」に参加する決心を明らかにし、 チャン・イーモウも、2004年1月6日を――つまり明日だが、 アニタが撮影に加わる日と決めていた。 だが、今はただ、人の生死ははかりがたいという現実を見つめるしかない。 記者は先日、プロデューサーの張偉平とメインスタッフに独占取材を行い、 アニタ・ムイと「十面埋伏」との、5つの思い出の真相をたどることを通じて、 アニタの最後の日々の、渾身の努力と、執念と勇気とを偲んだのである。
事の起こりはチャン・イーモウが「ルージュ」を好きだったこと
2002年の末、チャン・イーモウの、 興行成績2億をたたき出した「英雄」がまさに上映中だったころ、 「十面埋伏」の脚本はすでに準備が進められていた。 出演者には、香港・台湾の大スターを起用したい意向があり、 雑談のとき、チャン・イーモウがアニタ・ムイの名を出したのである。 張偉平の回想によると、 チャン・イーモウはアニタ・ムイの出演作「ルージュ」を非常に気に入っており、 またアニタ本人の仕事に取り組む真摯な態度は 芸能界の誰もが賛嘆するところだったので、 「チャン・イーモウは早くからアニタ・ムイと仕事をしたいと思っていた」 という。
2003年の初めになって、脚本の基本が出来上がり、 その中の、旅芸人の世界で高い地位を占める�狢膂晃罩瓩量鬚蓮� 出演部分はチャン・ツーイー、アンディ・ラウ、金城武ほど多くはないが、 ストーリー展開のばねとなり、「カギ」を提示する役割を持っていた。 チャン・イーモウは、アニタ・ムイは、毅然として、 勇敢で人の上に立つという気質にぴったりだと考えた。 最終的に、香港のプロデューサー江志強と相談し、 スケジュールなどについて確認した上で、アニタ・ムイが最終的に選ばれた。
対面。報酬は意に介さず
2003年の3月頃、チャン・イーモウと張偉平、江志強の3人は、 香港のシャングリラホテルで、初めてアニタ・ムイに会った。 張偉平は回想する。 このとき、アニタ・ムイは誰も連れず、 白のジーンズに白いシャツという服装で、1人でやってきた。
「全然スターぶったところがありませんでした。 江志強が私達を紹介すると、アニタ・ムイはあわててチャン・イーモウと握手し、 『よく存じています。あなたの作品は素晴らしくて、私は大好きです』と言いました」 張偉平は、そう語る。 「よけいなあいさつは抜きで、アニタ・ムイは、 先に大事な仕事を片付けましょうと言いました。 そこで、私達は脚本の話に入り、アニタは監督に自分の考えを伝えました。 役柄にはほぼ満足ということで、彼女は『十面埋伏』への出演を即答し、 出演報酬や待遇については、全然気にしませんでした」
交渉が成立した後、4人はホテルのレストランで夕食をとった。 アニタは少ししか食べず、よく話したと、張偉平は言う。
「彼女は、天性楽観的で明るいタイプで、他人によく心を開く人でした。 食事の席で、私達は香港の芸能界のことについてかなり話をしましたが、 アニタ・ムイは他の人のプライバシーに注意を払い、 人の品定めもせず、批評はいつも良い面を見ようとするものでした」
映画の製作部がアニタ・ムイと2度目に香港で会ったのは、 新型肺炎の流行していた時期のことだ。 このときは、チャン・イーモウと江志強の2人だけだった。
戻ってきて、2人は張偉平に語った。、 アニタ・ムイはレスリー・チャンの死で非常に憔悴している、 だが、それでもまるで勇士のように、芸能界を団結させ、 「1:99音楽会」(5月25日。新型肺炎SARSで親を失った子どもの 育英資金募集のためのチャリティ・コンサート)を 先頭に立って開催させたのだ、と。 チャン・イーモウは「断固とした闘士」という言葉で、 当時のアニタ・ムイを形容した。 そして、彼女が出演する「十面埋伏」の、 最終的詳細が基本的に確定した。 (続く)
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