武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
歌手時代の話です。 以前紹介した文章にもあった通り、 陳昇というプロデューサーを得た金城武のデビューアルバムは、 台湾語の歌や、武自身の自作曲を含む、意欲的なものでした。 しかし、2作目「只要妳和我」には日本のヒット曲のカバーが収録され、 続いて「温柔超人」と、アイドル路線に傾いていきます。
その頃の雑誌記事から(ただし出典不詳)、 陳昇によって歌の面白さに目覚め、 歌手としてがんばっていた彼の姿がかいま見えます。 中に出てくるBEYOND(ビヨンド)は、香港のグループ。 彼らと交友を結んでいたことも、以前ご紹介した中にありました。 検索をかけてみてください。
*********
金城武歌う「只要妳和我」は日本のグループ、米米クラブの作品の編曲である。 ということは、陳昇(ボビー・チェン)と彼が強調してきた、 オリジナル曲、カバーはやらないという方針を、自ら破るものではないのだろうか?
「これはレコード会社と年代の要求なんです。 ボビーとぼくは当然、絶対やりたくありませんでした。 ボビーのアーティストかたぎからしたら、これは余計に受け入れられないことだったし。 それで、ぼくらは最後に、こうすればいいんじゃないかと思いついたんです。 つまり、この歌を普通のデモテープにしちゃうってこと。 そして、非の打ちどころのない編曲と演奏で、必ず原曲を越えようと決めたんですよ。 その結果、ファンの熱烈な反響を得て、成功することができました」
金城武と陳昇は、「好朋友」という歌を共作している。 これは、初めは恋の歌だったという。 ところが陳昇が、友情賛歌に変えてしまった。
「ぼくはボビーに対し、ほとんど頭に来てたんですよ。 ぼくが香港で映画の撮影に行っているすきに、 何にも言わずに歌詞を変えてしまったって。 レコーディングのときになって初めて知って、彼に強く言いましたよ。 「ぼくの作品は使うのやめましょう。 なんで歌詞をまったく別物に変えちゃったんですか」って。
ボビーはそれを聞いてひどく腹を立て、どなりました。 「この歌は、俺と、黄連��と君とで一緒に創り上げたものだ。 こんなことはこれまでになかった。 もしかしたら、これが最初で最後かも知れない。 どうして君はこんなチャンスをないがしろにしようとするんだ」
その後、家に持ち帰ってじっくり聞いてみて、 ボビーの歌詞にすごく心を打たれました。 彼のことを悪くとって、ほんとにすまなかったと思ってます」
実は、金城武は陳昇を「好朋友(親友)」だと思っている。 「ボビーはぼくに作曲と作詞というものを教えてくれたし、 世の中の見方まで教えてくれた。 彼はぼくが地道に歩んで、優れたシンガーソングライターになり、 独自の風格を作り上げることを望んでくれています」
金城武にとって、親友の定義とは何か? 「親友のためなら、どんなことでも進んでやる」 金城武にとって友情は一番大切なものだ。 友のためなら、艱難辛苦も辞さない。
親友の家駒(BEYONDの中心的メンバー。日本のテレビでの仕事中に事故死)が 「突然行ってしまった」ことに触れて、 金城武は「最近では、最大のショックだった」と言う。 「家駒の死を、ぼくは今でも信じられないし、受け入れることができないんです。 数ヶ月前、日本で彼と一緒に福山雅治のコンサートを楽しんで、 おしゃべりしたのをまだ覚えてますよ。 彼のファンが理性を失わないか、すごく心配です。 ファンクラブは残されたメンバーをこれからも支え続けてほしい。 彼らは香港で真に一級のバンドです。 音楽はものすごく引き込む力があるし、歌詞は内容がある……」 彼は暗い顔で言った。 「素晴らしかった家駒の姿は、いつまでもぼくの中に刻み込んでおきます」
投票所 ←2位接近!
BBS 23:45
|