武ニュースDiary

* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!
目次|前の記事|新しい日記
マネジャー
EVA(ヤオさんです)がお湯のカップを持ってこちらにやってくる。 ついさっきまで、化粧室で金城武のメイクが終わるまでずっとついていたのだ。 彼女は背が高く、すらりとして色白、しとやかな笑顔の人だ。
EVAが初めて金城武と会ったとき、彼は16、彼女は24。 2本の若やかな苗のごとくであった。 彼女はフーロン事務所に在籍し、その身分は「人に不思議がられるマネジャー」だった。 「当時、台湾には、マネジャーという職業はほとんどなかったのです。 直接芸能人に連絡をするか、あるいはレコード会社に話をし、 レコード会社が自分のところの歌手に連絡するというやり方でした。 マネジャーなんて面倒くさいだと思われていたのです」
「うちのボスは非常に目が利く人で、テレビで金城武が出演したCMを見て、 そのちょっとした動きだけで、この子は非常に特別な雰囲気を持っていていい、と考え、 彼と契約することにしたのです。 もちろん、当時の彼は、まだ“見た目”だけでしたが」
「彼とこんなに長いこと一緒に仕事をしてこられたのは、 多分、どちらもお金のことを考えないからだと思います」とEVAは言う。 いまだに未婚の彼女は、依然として今は36歳の金城武のマネジャーだ―― 「とても運がよかったと思っています。一番くじに当たったようなものです」 だが、見たところは、彼女は温かく見守る後見人というほうが近い。
「この業界にいれば、きっと何度も誘惑があったに違いありません。 でも、彼は賢い人で、はっきりした考えを持っており、それに惑わされませんでした。 彼は金に目のくらむような人間では全然ないのです。 情義をわきまえ、善良で、恩を忘れません。 私たちと仕事を始めたときから、功利的なところがありません。 ときどき、変わらず子どものようだと感じることがあります」
「フーロンに入ったばかりのときは、全然中国語が読めなかったので、 会社は彼に新聞を読ませ、彼は自力で勉強しました。 今でも、この人は本当に面白いなと思います。 習ったことのないことにぶつかると、いつも一生懸命勉強するんです」
以前、フーロンが、日本でCMの撮影をする金城武の顔に 巨額の保険をかけたことについて聞くと、EVAは高ぶった様子で答えた。 「もちろんかけますよ、あんな危険なこと! あのときは高温のライトの横で撮影したんですよ。顔すれすれに近づけて。 万一破裂したらどうするんです?!」
友人
フーロンと契約後、金城武は音楽プロデューサーのもとに送られて、 「育ててもらう」ことになった。 「ゼロから音楽を教え、楽器を教え、生活や仕事をともにする中で歌の作り方を教えたんだ」 90年代初めの台湾では、ミュージシャンへの要求は、理論はもちろん実践上も、 今と比べて明らかに厳しいものだった。 「楽譜が書けることは、クリエイターとしての最も基本的な必須条件だったから、 まず音楽の基礎理論から勉強を始めたんだよ」
「彼は覚えが大変よくて、すごく才能に恵まれていた。 ギターが弾けたし、ピアノも弾け、それを使って自分自身の創作をした」 この初めの頃に金城武を育てたミュージシャンの黄連��は語る。 金城武は陳昇と黄��に助けられ、自ら作詞作曲をして、第1アルバム「分手的夜里」を完成させた。 「まだ成熟にはほど遠かったけれどね」
「すごく不自由になっちゃった。街で鼻をほじりたくなってもできやしない」 アルバムをリリースした後、金城武は黄連��にそう言った。 彼はこの2人の先輩といつも一緒に行動するようにもなっていた。 「事務所は彼をぼくらのもとに放ったらかしにしたので、 彼はぼくらが行くところにどこでもついてきた。 ほかの歌手の録音にもついてきて、助手の仕事もした。 夜、仕事が終わると、一緒にナイトクラブに繰り出したもんだ」 「仲がいいからじゃないぞ、お前がかっこよくて、女たちがひかれて寄ってくるからさ、 一緒にいればいいことがあるってわけだ」 黄連��は金城武をからかった。
彼らはナイトクラブを転々とし、酔いつぶれるまでやめなかった。 最初にダウンするのは決まって金城武だったので、「兄貴」の呼び名がついた ――いつも酒場で人に面倒をみてもらうことになるからである。 「大勢で飲んでいるとき、いやらしい話になると、彼はやはりきまり悪そうにしていたね」
金城武はその頃の音楽関係の友人たちと、 今でも共通の思い出の中のあの温かな友情を保ち続けている。 彼は今でも彼らの飲み友達であり、飲み屋好きの黄連��と一緒に、 金を出してバーを開いたほどであり、たまには店に顔を出す。 今、彼らは90年代の自分たちを笑って振り返り始めた。 黄連��は言う。 「君をだめにしたのは、俺たちじゃないぞ、音楽だ」 金城武がこたえる。 「なんだ、わかってたんですね。知りませんでしたよ」
「10数年にわたるつきあいで、口論はしょっちゅうだった。 考え方、物事を見る角度が違ったんだ。 彼は、ぼくが怒りっぽいたちなのをわかっていて、 よくぼくをからかって怒らせては、なだめ始めるんだよ。 今、彼は人気者だが、昔の友達のことは決して忘れしない。 外国から戻ってくると、電話をかけて一緒に食事をしようとみんなを集めたり、 ちょっとしたおみやげをみんなに配ったりする」と、黄連��は言う。 36歳の誕生日、金城武が台湾に戻ってくると、 旧友たちは彼の家の台所に隠れ、突然飛び出して彼をびっくりさせた。
「10代の頃から、彼はずっと赤子の心を持ち続けているね。とても「まっすぐ」だ。 演技はすごくうまいとは決して言えないが、ゆっくりと成長している。 進歩の速度はあまり早くないが、要するに常緑樹なんだ。 外見もいいし、中身もいい。 ずっと自分をコントロールしながら成長し続けている」と黄連��は話す。 「あのとき、フーロンのとった方向は正しかったね。彼を日本へと連れ出した。 台湾という池は小さい。彼は大海に出ていくべきだったんだ」 (続く)
いきなりですが、バンクーバー・オリンピック、男子フィギュアは楽しめましたね。 日本の3人、個性の違うイキのいい若者たちがそろって、いいですね。 高橋選手はふだんは普通の若い子だけど、滑り始めると華があるし、表現力があるので、 観ていて楽しい。 その上、確か金城武が好きだ、と言ってた記憶があるので 実は、それもあって、ひそかに応援しております。 公式サイトを確認したら、確かに、好きな芸能人にしっかり名前がありました♪
BBS ネタバレDiary 22:00
|