武ニュースDiary


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2010年02月20日(土) GQ取材記��

台北アメリカンスクール

外国人から見ると、高級住宅の集まる天母地区は、
「あまり台湾らしくない場所」だ。
台湾らしさの濃厚な士林の美食街で名高いのだけれども。

日本人学校の向かいに、中山北路を隔てて、有名な台北アメリカンスクールがある。
現地では「英語を習うのに最適な場所」という伝説のあるところでもある。
貴族の高校に共通しているようなエリート的たたずまいがあり、
校門は仰ぎ見なければならないほど高い
――外国籍でなければならないという厳しい制限のほか、
英語に問題がなく、両親に経済力があることが必要なのだ。

台湾の裕福な家庭は、ヨーロッパの小国で土地を買うことで、
子どものために外国のパスポートを手に入れる。
日本人は子どもが英語の難関を突破できないのではないかと心配し、
回り道で目的を遂げさせようとする――
まず、「レベルが少し下の」ミッションスクールで英語を猛勉強させ、
それから入学試験を受けさせるのだ。
もし、不幸にして両親に経済力がなければ、
たとえ国籍に問題がなく、英語が上手でも、
途中退学もありうるという心の準備をしておかなければならない。

道路を1本隔てただけの日本人学校で中学3年になった金城武は、
将来の計画などほとんど考えていなかった。
小学校6年の卒業文集で、彼は「大きくなったら」という題の短い作文に、
「スーパーマンか警察官」になる、と書いている。

「あの頃、日本人学校とアメリカンスクールは
ずっと何かしらの友好関係があったようで、
日本人学校の同級生が何人も一緒に入学試験を受けました。
英語もあわててつめこみました。
突然高校を受けることになり、突然英語の補習クラスに入ったんです。
でもぼくは間違ったことばかり覚えたみたい」と、金城武はおかしそうに笑う。
彼は私の「英語はどこで勉強したの」という質問に驚きを隠さず、
あたかも「人間はなぜご飯を食べるの」と聞かれたかのようだった。

不意に彼は楽しそうになり、目がきらきらと輝いた。
ほこりだらけの古い家で、子どものとき大事にしていたおもちゃを見つけたかのようだ。
「今でも忘れられないんだけど、入学試験のとき、対話、
つまりConversationの試験があったんですよ。
ぼくはうまく答えられていると思ってました。全部聞き取れてたので。
でもわからないことが出てきた。
今、1億米ドル持っていたら何をしますか、と聞かれたんです。

その数の単位を、そのとき初めて聞いたんです。
つまり持ってるのが1億ドルということ。
ぼくはとっさに、1億? きっとそれは数百元とか数千元とかのお金で、
それで何をするかと聞いているのだと考えました。
それで、おもちゃと本となんやかやを買うと言い、うまく答えられたと思いました。
終わって出てくると、口頭試験を受けたほかのクラスメートが
その問題について話していたので、何と答えたか聞いてみると、
お父さんに家を買ってあげると答えたと言う。
足りるわけないじゃないか?! とぼくが言うと、
友達は、買えるに決まってるよ、1億ってこれこれの額だぜ、と言うんです。
わ、終わった、と思いましたね」
金城武は大笑いして両腕を広げ、お手上げだという仕草をした――
「そいつはぼくより上のレベルのクラスに入ったんですよ……」

インタビューの間、周りに集まってきて聞いていた者たちが一斉に笑い転げた。
彼は、まさにあの、「ラベンダー」の、ぼうっとした天使のようだった
――善良で欲を知らず、単純でこだわらない。
彼は自分の滑稽な話をするのを好み、
役者特有の即興の表現力で、周りの者たちを喜ばせる。

アメリカンスクールのアメリカ式教育は、金城武に人生のもう1つの門を開き、
世界は明るく生き生きと変化した――
「もちろんアメリカンスクールの方が好きですね。
わっ、自由だ、と感じました。
それもうまい具合に、あの高校生という年齢の頃にあたっていて」

アメリカンスクールで、彼はバレーボールをし、友達とつきあった――
「すごく変なんですけど、クラスメートは今でも連絡を取り合っているんですよ、
すごく単純なグループみたいで、
ぼくらの場合、一番仲良しで親しいのは、
みんなアメリカンスクール時代の友達ですね」
金城武のかつてのチームメイトは語る。
今はニューヨークにいるが、今でも金城武とは連絡を取り合っており、
「機会があれば会って飯を食います」。

その頃、付き合っていた女の子もいて、学年は金城武より少し上だった。
「2人はとても仲むつまじかったですよ」
2人は学校のダンスパーティーにも行ったが、
お金のある彼女が彼にチケットを買ってあげていた。

金城武は私の右側に座っている。
テーブルにはマリンブルーのマイルドセブンがある。
水の入った紙コップがいくつか、灰皿代わりに使われて、
テーブルのあちこちにおいてあった。
彼は紙コップは使おうとせず、ちっぽけな金色の携帯灰皿をえいっと開けた。
中は吸い殻でいっぱいだ。
大丈夫、もっと吸ってもいいですよ、と私は言った。
ありがとう、と彼がこたえる。
右手にタバコを持ち、慣れた様子で左に少し身体をひねっている。
タバコは低く下げていて、ほとんど見えない。

アメリカンスクールで、金城武は人生初めてのタバコに火を点けた。
クラスメートにも1本渡すと、男の気概を目一杯発揮し、心から勧めて言った――
「これでこそ、男だ! タバコを吸わなきゃ男じゃないよ」

金城武の母親は、子どもの教育という面では、
非常に変わった開けた一面を見せ、決して「干渉」しなかったし、
「たいそうな問題ではなく」「子ども自身のの選択」であり、
「子どもは大きくなったら、
自分の人生には自分で立ち向かわねばならない」のだと考えていたのである。

嗅覚の鋭いスカウトの目には、この欧米モデルのABCと
美貌の混血児たちの学校は、宝の山であり、
台北アメリカンスクールの有名な卒業生には、遠くはテレサ・テン、
近くは費翔、ピーター・ホー、潘瑋柏(ウィルバー・パン)も
卒業生名簿に名を連ねている――後で述べることであるが。
50年間の植民地の歴史は台湾の日本に対する感情を複雑なものにした。
混血であるということはある種人の心を揺るがせるものなのだ。

成長を始めた金城武はスカウトの鋭い目から逃れることなく、
高校2年のとき、あるドリンクのCMに出演した
――「少年が、1人の女性が豚を連れて歩いていくのを目にする。
少年はときめきを覚え、女性の前に走り出て、さっと踊る」というものだ。
バレーボールのチームメイトたちは、
「いつも野暮ったく、Tシャツの裾をジーパンの中に入れ、
ジーンズを上まで引っ張り上げていた」、
「バスケットシューズにその裾を靴に押し込んでいた」金城武が
高校を最後まで終えないままになるとは思ってもみなかった。
CMがテレビで放映されてまもなく、彼は完全に学園を去ったのである。  (続く)


 BBS   ネタバレDiary  17:00


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