Espressoを飲みながら

2002年01月26日(土) 死の恐怖と罪悪感についての熱病患者による考察

 普段熱を出さない人がたまに発熱すると
妙なことを考えたりします。少なくとも私はそうです。

 過去生の記憶と思われるものをたぐっていくと、
自分が死ぬ時っていつも誰かにあやまっていた気がする。

 自分が母親で、子供達に「お前達を残して死ぬことになってごめんね」
とか、逆に自分が子供で「先に死ぬ親不孝を許してね」とか。
いつも死ぬ時には、自分の周りにいる人達、家族、愛する人達に対して
すごい罪悪感を感じていたような気がする。

 記憶の中の死は自殺ではなかったから、本人が選んだ訳では全くないし、それらの死を避ける術も無かったのだけれども、それでもすごい悪いことを
したように感じてしまったみたいだ。

 そしてその過去生の死の記憶が今生の死に対する恐怖になった
みたい。あんな罪悪感二度と感じたくない、みたいな。

 それを理解するとなにかすごく楽になった。


 < 過去  INDEX  未来 >


空遊 [MAIL]

My追加