ポスぺパークのひげシャガールという掲示板のカキコを読んでた。
それは彼女を束縛してしまう彼氏についてのカキコだった。 携帯への着信とか、電話が繋がらなかった日のこととか、やたらめったら うるさいらしい。そのカキコへのレスには、そういうことをする男性への 批判でいっぱいだった。
「自分の居場所を彼氏に知らせる義務はない」 「束縛されていることは愛されていることと誤解する馬鹿な女も たくさんいる」
といった論調。
空遊は、「なるほど。そりゃそうだ。」と思った。 自分の周りの人々の関係性を見る限り、やはり束縛は破壊的な影響しか 及ぼさないみたいだ。それは恋人関係に限らず、親子、友人関係等に ついてもそうである。特に束縛的な親子関係は問題が多く、知人にも それが原因で精神のバランスを崩し、心療内科や精神科や各種セラピーの 御世話になることになった方々がたくさん。
そしてストレスが身体に出るタイプの人は、それが原因で慢性病や 内科疾患にかかったりしているのだと思う。実は、ブラックジョークでは ないが、「家族が死んだら持病が治った」という人も結構いるようだ。 もちろん「家族が死んだら落ち込んで病気になった」という人もいる訳で どちらの場合もあるのだけれども。
家族というのは、選択することができない分、ややこしい存在だ。 そこから起こる束縛やストレスについては神を呪ってしまうような ところがある。空遊は一人暮らしを始めたら急に元気になった(笑)。 持病だったアレルギー性鼻炎もずっと良くなった。
恋人については、選択することができる。片思いやふられることは当然 あるけれども、少なくとも付き合いたくない人と付き合わないということは 選ぶことができるはずだ。束縛がストレスにならない範囲だったら、それは もちろん構わないけれども、それで何度も長時間に渡って考え込んでしまう ような具合だったら、ストレスで肌がぼろぼろになってしわができて老化す る前に関係性自体を手放した方がいいと思う。
また、束縛することは束縛されることだ。 もしわたしがあなたの手をつかんだら、あなたが手をつかまれているだけ ではなく、わたしもあなたの手をつかんでいる自分の手を使うことができない。 とても単純な事実。
合気道や気功の師範は「肩に力が入ると気が滞る」と言う。 肩の力が抜けていないと相手と気の交流をすることができない。 恋愛も二人の人間の間の気の交流の一種だから、やはり肩の力は抜けて いる方がいい。束縛しようとすれば必ず肩に力が入る。呼吸が止まる。 同じ人と時間を掛けて付き合うことに意味があるとすれば、その意味の 一つはゆったりと肩の力を抜いて付き合えるようになることだろうなと 思ったりもする。
|