2002年04月25日(木) |
はじめてのハローワーク |
ハローワークというところに初めて行った。
子供の頃にはまだ公共職業安定所と呼ばれていて、 子供がそんなところに行くわけはないのだけれども 西成の職安だけJRの環状線から見えるところにあって、 なんだか暗い灰色の大きなビルだなー(そんなに実際大きくは無いが) という印象があった。そこに入って行く人々の肩には なんだか灰色の影が見えたような気がした。
そういう訳で、なんとなく気乗りしない。 まあ、ハイな状態でハローワークに行く人も少ないだろう。
しかしながら、幸いなことにそこに至る道のりだけは 綺麗なもので、阪急御影駅のちょっと上から西に向かって、 時代劇の中に入り込んだかのような御屋敷街を歩いて行く。 御屋敷街を抜けて阪急神戸線にそって西に歩き続けると、 やがて石屋川が見えてくる。南に方向転換して国道2号線に降り、 さらに少し西(六甲道・三ノ宮方面)に歩くと左手にハローワーク灘が あらわれる。
今回の目的はようやく届いた離職票を持って、失業保険の手続きをすること。 人が少ないことを何よりも願っていた、、、。
が!やはりそうは問屋がおろさなかった(涙)。一階で受付を済ませた後、 二階に行くと座る椅子もない。通路も待っている人で埋まっていた。 一種独特の重たさといらつきの支配する空気。職員さんは、想像していた よりは一生懸命、それなりに能率を気にして働いてはいるのだが、なんせ 数が数だけに全然減らない。というか次から次に増えてくる人、人、人。 やはり中高年の方が中心だが、20代から推定70才半ばの方まで幅広い 年齢層。
腰のまがったおばあさんが入ってきた。推定年令75才以上。 立って待っているのも難儀な様子で椅子の隣の床にしゃがみこむ。 年令から言ってもこのような場で待ち続けるのは辛い様子だ。 手に持っていた求職票には出来ることと過去の仕事の欄に、 ひらがなで「そうじ」と書かれていた。
待ちくたびれたころにようやく呼ばれる。 昨日手に入れたばかりの離職票を持って、自分では3月いっぱいで辞めて 最短時間で手続きをしているのだが、それでも最初の振り込みは5月の半ば になるという。退職理由が雇用期間の満了なので、自己都合による退職より 手続きが早いのだが、最短でもこれである。
ううっ。。。今月の家賃、どうしよう(涙)。
事務手続きがどうのこうのという話なのだろうが、いつもながら 役所のテンポというのはどこか狂っている。おそらく失業者として ハローワークを利用することなど一生に一度も無いであろう 厚生労働省の官僚が管轄しているからこうなるのだろうか?
手続きを終えて下に降りる。一回には仕事を紹介するファイルが おいてあって、いろんな人がそれらを閲覧している。 ファイルを取ろうとすると、隣の50代のおっちゃんがぼやいたように 独り言を言っている。
「くそっ!50超えたらどこも求人ないで!」
なんだかハローワークの中というのは青木雄二の漫画の中みたいに ハードな 資本主義社会の弱者の現実の世界である。おっちゃんの顔も 青木雄二の描く漫画に出てくるような顔をしていた。 これから帝国金融に金を借りにいったとしても、なんら不思議はない。
たいした仕事もしていないのに、妙に疲労してしまった。 明日は健康保険の手続き。できれば減免申請したい。
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