2002年11月23日(土) |
失意の修学旅行生(嵐山・嵯峨の紅葉画象その6付き) |
京都のお寺には、拝観料というものがある。 良い仏像や紅葉の景色などが敷地内にあると、 寺はそれをネタにお金儲けをするのだ。
1つの場所につき、500円とか1000円とか。 1ケ所ならどうってこともないかもしれないが、そこは京都。 満足に観て行こうとすると、かなりの金額が掛かってしまう。 文化財級の仏像や、美しい紅葉のある庭の前で、 残念そうにUターンして帰っていく自由時間中の修学旅行生を 見掛けるのは、そのせいである。
おそらく遠いところから来たであろう修学旅行生の 親は、学生の修学旅行にそんなにお小遣いをあげなくても 良いと思ったのかもしれないし、あげられなかったのかも しれない。たくさんお金を渡したら却って悪いことに使ったり 無駄遣いするかもと思ったのかもしれない。
理由はどうあれ、結果として次はいつ京都に来られるかも わからない修学旅行生は失意の中、故郷へと帰っていく。
京都の古刹名刹は、各宗派の総本山であるようなところが多い。 たくさんの観光客が訪れ、お賽銭を放り込んだりお守りを買ったり 各種祈祷を申し込んだりする人も他とくらべれば多いだろう。 もちろん、観光客ではない信者さんも相当数いるはずである。 お金に窮しているとは、とうてい考えにくい。
ついでに言えば、宗教法人なので、税金が掛からない。
何年かに一度しか見せない秘仏を見せるから、お金を払いなさい というお寺もかなりある。
しかし見る人がいなければ、仏像にはなんの価値もないのではないか。 勿体ぶることがどう衆生救済の役に立つのか? 私は仏教は一切合切信じていないから別に構わない。 私が寺を見に行くのは100パーセントの物見湯山。 けれども、信じている人は、可哀想じゃないか。 例えば、浄土宗の檀家さんで、生まれてこのかたずーっと信者で、 法事も葬式もずーっと浄土宗でやって、お坊さんにお布施もはずんできた 人が、総本山に来てもやっぱりあらためて拝観料よこせ。 なんか、ひどくない?
紅葉はいたって綺麗なのだけれども。 この世のものではないかもしれないくらい綺麗に見えたりもするけれども。 京都の僧侶の心が冷たいから京の冬もこんなに冷たくなって、 温度差で紅葉がこんなに綺麗になったのかな、と思ってしまいそうな こともなきにしもあらず。

光と影のライン、45度に、まっぷたつ。
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