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■ クローンペット
少し前、新聞を賑わせていた猫のクローンのニュース。 そのことを、ずっと考えていた。
一番の命題は、「クローンは、もととなった固体とイコールなのか?」
たとえば、我家のニャンの細胞からクローンをつくったとする。 ニャンとまったく同じDNAを持つ、しかしニャンの記憶(ここで言う記憶とは、人間の側からすれば「思い出」といった情緒的なものだが、猫にとっては、行動を決定づける学習の機会、といったような意味合いだ)を持たないクローン・ニャン。彼は、ニャンであるか否か?
ニャンの記憶を持たないクローン・ニャンは、同じDNAを持っていても、捨てられ猫だった幼猫期の記憶も、保護主さんに拾われてからの先住猫ちゃんや先住犬ちゃんとの生活も、ニャンを「カブ」と呼んで可愛がっていた幼い女の子と男の子の記憶も持たない。 当然、初めて猫を迎えることになったリュウと私の、緊張と狂騒の日々も知らない。
じゃあ、ニャンとは違うじゃないか。……なのだけど。
でも悲しいかな、猫にもボケはあるらしい。では、ニャンが長じてボケちゃって 、突然、わけのわからない行動をとり始めたら……それはニャンではないのか? と言われたら困ってしまう。
ボケちゃったニャンはニャンだけど、クローン・ニャンは、ニャンではなく別の猫だ。私の感情は、多分、そう判断するのだが、その根拠はと言えば、もしかしたら私の側の記憶の連続性でしかないのかもしれない。
それでも、クローン・ペットに某かの居心地の悪さを、私は感じる。 それは、病気になったから、年をとって可愛くなくなったから、飼い主の生活環境が変わるから、ひどいものになると、ブームに乗って飼ってはみたものの飽きてしまったから……つまりは、人間の都合次第で、あっさりと捨てられる動物たちに感じる悲哀とも地続きだ。
結局、これらは人間の問題なのだ、と私は思う。
科学の進歩を否定するものではないが、時々、科学とはなんだろう、と思ったりする。人間は、クローンを扱うにはまだ精神が未成熟なのでは? と思うのは、傲慢だろうか?
◆私があまり煩く「また、半袖」と言うものだから、今日は、お友達と遊んで帰ってくるなり「○○くんも半袖だったよ」とアピールしていた。 そして、どういうわけか突如クリームスープにこり始めたリュウ。何が、どうしたのだ?
* 朝−牡蠣ご飯と梅干のお握り&ジャコと青菜のお握り、クリームスープ(タマネギ、ブロッコリー、ベーコン、ニンジン、コーン、グリーンピース、パルメザンチーズ、牛乳) * 夜−舌平目のムニエルwithキャベツとトマト炒め、ベビーリーフと揚げとジャコのサラダ、クリームスープ(タマネギ、ニンジン、マッシュルーム、ブロッコリー、クリームチーズ、牛乳)
2002年02月21日(木)
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