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■ ポッポがいなくなって、なんだか我が家がスカスカしている
昨日は仕事がバタバタしていて、朝8時半に出て帰宅したのも8時半(日記は出先で更新したのだ、実は……)。
ポッポを見に行ったら、くるんでいた布の感じやフードや水を入れた容器や香炉の位置が違っていた。どうやら学校と部活が終わって夕方帰宅したリュウが、お別れをしていたようだ。 果たして、サッカークラブの練習から10時ごろ戻ったリュウが、夜食を食べながら「ニャンちゃんたちはポッポとお別れした?」と聞いてきた。 「みんな、順番に顔を見に来たよ」と言うと、ふうん。「君はお別れしたの?」と聞くと「したよ」と。それ以上は突っ込まないで欲しいときの、ことさらなんてことのない様子を装った口調で答えたので、ああ、きっと泣いたんだなと思った。
今日、ポッポを送り、骨壷をジュリナと並べた。
ほかの子たちは、私のパソ下のホットカーペットや猫用コタツで思い思いに寝ている。ポッポも、いつもだったら居間にある、壊れたテレビ台で作った隠れ家(冬はあんか入り)で寝ている時間だ。一昨年以前の冬だったら、ジュリナが、去年の冬やここ最近はたまにあみっちが一緒に寝ていたりした。 だから、いつも目の前にいるわけではなかったのに、なんだかスカスカしている。
ポッポを送るとき、かつて小学生で私よりも背もチビだったころのリュウが作ったポッポのテーマソングを思い出していた。 某ハムスターアニメの主題歌の替え歌なのだが、あまりにポッポにぴったりで大笑いしたあげく、ここの親サイトの《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》に送りつけたシロモノだ。
ポッポの記憶は「笑い」と結びついているものが多い。夜中に暗い廊下でポッポがいるのに気付かず(黒猫なので)蹴つまずいたとか、首を絞められている夢を見て目をさましたら重量級のポッポが胸の上に乗っていたとか、フガフガという鼻息で明け方目覚めたらポッポの顔がアップで迫っていた(鼻の穴がでかくて、かつてサブちゃんとも呼ばれていた)とか、宅配のお兄ちゃんに「わ、びっくりした……これ……ね……ね…こ……ねこ?……ですよね?」と言われた(でかくて猫に見えなかった)とか。
ポッポは(私のところに来て)きっと幸せだったよ、と何人かの友人が言ってくれた。でも、ほんとうは、ポッポが来てくれて私やリュウが幸せだったのだと思う。 呼ぶといそいそとやってきて、「何?何? ポンポンしてくれるの?」とばかりに期待に満ちた眼差しで前足を踏み踏みしていたポッポ。 もう、ポンポンすることもできないのだなぁ、と思うと、やはりスカスカした気分になる。
2005年12月21日(水)
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