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2001年08月01日(水) 戦争責任

毎年8月15日が近づくと戦争責任の問題が云々されます。
特に今年は小泉首相が靖国神社参拝を明言しているので
なおさらです。
靖国が戦前国家神道や軍国主義の象徴だったとか、
或いはA級戦犯が合祀されているからとか
問題は紛糾します。
でもそれはし枝葉末節的な事で、
私の見るところ元凶は戦争責任が結局はっきりされなかったことに
全ての根源があるように思えます。
はっきり言うと、天皇が何の責任も問われなかった事が
いまだに尾を引いているのです。
このことは、天皇嫌いの左翼朝日新聞すら曖昧にしてはっきり指摘しません。
でも昭和天皇には個人的にも形式的にも責任があります。
昭和天皇は平和主義者だったとか人柄を立てにとったり、
或いは天皇には実権は何もなかったみたいな事を言って
責任を回避する事を言う人がいますが、
でも天皇が戦時中、かなり戦争指導に関わっていた事は
いろいろな資料で明かですし、
また、形式的にも全ては「天皇の名において」行われています。
これで責任は全くないなどといえるのでしょうか?

戦時中、イタリアには実は国王がいて、
ムッソリーニは政権を委任されていただけでした。
だから戦後王制は廃止されています。
日本でも当時、天皇が何の責任も問われないなとど
誰が考えたでしょう。
むしろ近衛とか木戸、或いは東條たちは
天皇の責任を問われる事を怖れていたのであり、
逆に言えば彼らは天皇に責任がある事を熟知していたのです。

私は天皇制廃止、少なくとも昭和天皇は退位してしかるべきだったと思います。
それが政治的意図により全く不問に付されてしまった。
これが戦争責任がいまだに曖昧であること、
そして引いては戦後の政治的思想的・・・
全ての総無責任体制の元凶だと思えるのです。


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