エンピツ(に限らず、投票ランキング制度のあるあらゆるWeb日記)の投票ボタンに
ギミックを使用している日記が多い。
今更説明するまでもないが、ギミックとは、
である。
つまり押すとメッセージが変わるタイプの投票ボタンである。
個人的には、この手のボタンは好きではない。
本文に共感した日記でも、このタイプのボタンだと却って投票したくなくなる。
「投票しなければ続きは読ませないよ」と言われてるような気がして、
甚だ興ざめである。
まして、それによって得票数を稼ごうとする意図が見え見えなので
へそ曲がりの私としてはますます押したくなくなる次第だ。
ギミックの使い手が、必ずしも全て得票稼ぎ目当てではないだろうが、
実際、ギミックボタンを使用するとやはり得票数が違うらしい。
エンピツに人気投票システムがある以上、
票は少ないよりもたくさんあった方が、確かに気分はいい。
得票以前に、そもそもアクセス数自体の少ない私の日記なぞにとっては
どうでもいい事だが、そんな私でも、たまに1票あるとやはり何となく安心する。
まして、ランキングの形で「客観的」な優劣の評価が現れるからには、
そこで他との競争意識が生まれるのは自然の事であり、
その結果、利用できるものは何でも利用して票を得たいと思うのも
ごく普通の成行きであろう。
人間は自己顕示欲の動物である。
したがって、ギミックそのものには私は肯定的である。
ただ私自身はやる気しないし、また押す気もしないだけの話。
これは単に趣味の問題である。
ただ、ギミックを含めた得票稼ぎの過熱によって、
良質の日記が下位に埋もれてしまう事を危惧される方もいるようだ。
何をもって「良質」というのかはわからないが、得票数を稼ぐ事が自己目的化し、
その一翼をギミックが担っていると言う事になれば、
ギミックボタンを使用していない日記は甚だ不利になる。
つまり悪貨が良貨を駆逐する、というわけだ。
しかもこれは単なる書き手側の問題だけではなく、ギミックを使用しないがゆえに
目立ちにくい良質の日記を、なかなか読めない読者の不利益に繋がる、と言うわけである。
確かに、そういう考えにも一理はある。
でもこれは、だからギミックを使う日記に問題がある、と言う話でもないように思う。
例えばの話。
無能な世襲議員が当選するのは、立候補した当人が悪いのではなくて、
所詮、投票した選挙民、国民の責任である。
でも、だから国民はバカだ、衆愚政治だと言ってしまっていては、
民主主義は成り立たない。
同じ様に(?)もしギミック日記が質的な優劣を反映しないにしても、
しかし現にそれに釣られて投票するような類いの読者が多いのだから仕方あるまい。
ただそれだけの話である。
ギミック批判の日記をしばしば見掛けた事があるが、この事は誰も指摘しないように思う。
当たり前だ。
書き手が、読者の質が低いと言うのは、言わば天に向かって自ら唾するようなものだろう。
公開日記は、質が高かろうが低かろうが、総体の読み手がなければ成立しないのである。
「良質の日記が…」云々は、
例えば、教養書が数壱千部しか売れないのにマンガ本が数百万部売れるのを嘆いている、
時代遅れの知識人みたいである。
どうしても教養書が読みたい人は、書店の棚になければ出版社に直接注文してでも読むだろう。
つまりランキングに惑わされずいい日記を読みたい人は、それ相応に心得て自分で探すのではないか。
埋もれてしまう「良質の日記」が読めない事を、お節介に心配する事はあるまい。