「しかし恥かしいことに、それを私は、かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で、
言ったように思う。すなわち、私は自分のすぐ目の前にいる実物の太宰氏へこう言った。
『僕は太宰さんの文学はきらいなんです』」
(三島由紀夫『私の遍歴時代』)
年代によって読後感の変る作家の作品というものがあるらしい。
例えばドストエフスキーなどは20歳、40歳、60歳…読者が年を経る毎に
違う読み方ができると言われる。
埴谷雄高は「読者が成長させる作家」とドストエフスキーを評したものだ。
その逆に、ある年代の時にしか読めない作品もある。
例えば私は、三島由紀夫の作品を今後あまり読み返してみたいとは思わない。
10代の頃には三島文学に魅了され、主だった作品はあらかた読んだものだったのが、
その後は不思議に手に取る気持ちがおきない。
いや数年前に一度、『金閣寺』『仮面の告白』を再読しかけた時があったが、
空疎なレトリックばかりが鼻について閉口した。
中学3年の時に初めて読んで感動した三島作品である『金閣寺』すら、
ただの作りものめいていてがっかりしたし、
『仮面の告白』に至っては、アホらしくなって途中で読むのをやめてしまったものだ。
かつて松本清張が三島の事を「青年の文学」と呼んだが、そんな感じである。
私も年を取ったのだろう。
さて今日6月13日は太宰治の命日、いや正確に言えば玉川上水に入水した日だ。
三島の38才の時の半自叙伝『私の遍歴時代』には、太宰治とのたった一度の出会い
について記されている。
2人とも比較的若くして自ら命を絶ったので、随分と時代の違う人間のようにも思ってしまうが、、
2人が会ったこの時、太宰38才、三島22才である。ちなみに太宰の死はこの1年後である。
三島によれば、冒頭に引用した三島の言に対して太宰は、
「瞬間、軽く身を引き、虚をつかれたような表情を」したのち、横を向いて誰に言うともなく、
「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。
なあ、やっぱり好きなんだ」
と言った事になっている。
10代の頃にこれを初めて読んだ時には、いかにも太宰の言いそうな事な気がしたし、
三島の影響で太宰嫌いになっていた私は、大いに溜飲を下げたものだった。
しかし、後に別の本を読んだら、この場面が全く違うように書かれていた。
それは、『回想 太宰治』 (野原一夫 新潮文庫)で、太宰サイドから書かれた本である。
手元に今ないので引き写せないが、三島は、「ニヤニヤ笑う」どころか、緊張のあまり
蒼白になっていたようだし、そして太宰は太宰で、それに対してこう言ったと言う。
「横を向いて吐き捨てるように、『嫌いなら来なけりゃいいじゃねえか』」――。
混乱してしまった。こちらの方も太宰の言いそうと言えば、言いそうな事だからだ。
それに三島が描いている太宰の姿は、太宰嫌いにとってはいかにもさもありなん
という感じの典型的な太宰像に過ぎる。
三島自身の発言、太宰サイドの証言、どっちが本当なのか…??
多分、真相は、後者が正しいのだろう。
太宰と三島、二大巨人の対決、と思うから錯覚するが、
三島はまだ後年の三島ではなく、短編を数編出しただけの、東大を出て
大蔵省の役人になったかならないかの時の、22才の平岡公威に過ぎない。
それに太宰はこの日、単にその場に酒を飲みにきたのである。
そしてそれは、そこを取り巻いていた人たちも同じだった。
だから酒の呑めぬ下戸の三島だけが1人、真剣勝負を挑んでいるつもりで、
滑稽な一人芝居を演じていたに過ぎないのだろう。
そしてのちに三島が太宰を嫌悪し罵倒し続けた理由も、多分ここにある。
勿論それ以前に文学的な問題もあるだろうが、
真剣勝負を挑んでいるつもりの三島はこの日、太宰に軽くあしらわれて
いたく傷つけられたのだ。
フロイトではないが、それに対する代償行為にほかなるまい。
三島が書いたのは、かくあるべき「太宰との出会い」であり、
何よりもそれを証明しているようである。