夏休み…というわけでもないのですが、1ヶ月以上サボってしまいました。
それにもかかわらず時々覗いてくれていた方もいらしたようなので、
ありがたく思います。
相変わらずつまらない事しか書けませんが、懲りずに、たまに覗いてやって下さい。
さて。
田中真紀子前外相が議員辞職。
近来、稀な、心暖まるニュースだった。
この人には、もうニ度と政界復帰してもらいたくない。
私は全く信用してなかったし、大嫌いな政治家の一人である。
信用できない理由の第一は、田中角栄の功罪の総括をしなかった事である。
これまで真紀子は散々、竹下派−経世会(現橋本派)による政界支配を批判した。
でも竹下派の前身・田中派を率いて日本の政治を壟断していたのは、
言うまでもなく彼女の父・角栄である。
その彼女が、他人事のように経世会を批判できた義理だろうか?
真紀子は角栄の地盤・看板を継いで政界に出てきたのだから、
父と娘は別人格、では済まない。
田中型政治の総括を全くせずに、都合よく改革派面していた真紀子には、
最初からいかがわしさを感じていた。
第二に、彼女の凄まじいばかりの権力欲だ。
もう忘れられているかもしれないが、森政権当時、
真紀子は「自民党の明日を創る会」なる若手議員の会に所属し、
森首相に批判(というより罵詈雑言)を浴びせていた。
ところが森内閣への不信任案が提出され、これに「創る会」の若手議員にも同調の動きが出るや、
突然、真紀子は会を離脱して、森内閣を信任してしまった。
森批判の急先鋒だったこの真紀子の変節には呆気に取られたものだ。
一体、何があったのか?…と思ったら、
何と直後の内閣改造で、入閣候補になっていた。
つまり、大臣の椅子欲しさに変節していたわけてある。
単なる大臣病患者だったのだ。
結局、橋本派の反対で入閣できなかったが、
この時の橋本派への私怨が、その後の総裁選での小泉擁立に繋がっている。
小泉を担いだのは単なる橋本派への復讐である。
それは故・小渕首相を「御陀仏さん」呼ばわりして罵倒した発言でも明白だ。
更に、勝利の暁には、その功でもって、枢要閣僚になりたかった事は歴然である。
凄まじいばかりの権力欲だ。
私怨と権力欲…まさに、自分の事しか考えていないのである。
そして首尾よく小泉政権が誕生し、彼女は外相になりおせてしまった。
真紀子なんかに日本の外交を任せていいのか??
…その当時、私は仰天したが、でも、なってしまったからには仕方がない。
うまくやってくれる事を期待もした。
現に去年の5月頃の私のこの日記には、そうした事も書かれている。
しかし結局、無能振りを如何なく発揮して日本外交を破壊し尽くした事は周知の通り。
外務省改革を真紀子がやる気がなかった事も明かである。
例えば、菅直人が厚生大臣だった時のエイズ問題の処理の仕方と比べてみるがよい。
あの時の菅は、理詰めで官僚を締め上げてグウの音も出させなかった。
本気で改革をする気があるのなら、あのようにするものだ。
これに対して真紀子の場合、単に人事にこだわって大騒ぎをしたに過ぎない。
これは大臣権力を振るってみたかっただけだし、
そしてマスコミ向けに、さも「官僚と戦っています」とアリバイ作りをしていただけである。
したがって当時、小泉がこんな無能で有害な真紀子を更迭したのをは当然の事だ。
にもかかわらず真紀子更迭によって、小泉内閣の支持率は激減した。
衆愚政治もここに極まれりだった。
たしかに小泉そのものは、経済政策その他の無能によって批判されるべきである。
でも真紀子解任で非難されるのは間違いだ。
私は政権交代論者なので自民政権は全く支持しない、
でもこの点では小泉の判断を支持する。
だからこの頃の、「真紀子さんが可哀相」等と馬鹿げた同情を寄せる
ワイドショー的主婦感覚の低能なメンタリティーには、私は何処かに亡命したい気分になった。
その昔、朝鮮戦争(1950年)の時、
英雄・マッカーサー元帥を時のトルーマン大統領は解任した。
この時にマッカーサーに同情してトルーマンを非難する論調にも大統領は平然、
「いずれアメリカ国民はニセモノ(マッカーサー)を見抜く」とうそぶいていたと
いう。
そして事実、その後、やがてマッカーサー人気はしぼんでいった。
現在の状況もそれに似ている。
例えば最近、小泉内閣の支持率は回復しつつあるし、
一方の真紀子は疑惑で人気凋落、そして今回の議員辞職。
つまり日本国民もそうバカではなかったと言うべきか。
その良識をまだ信じたい。
いずれにしろ、真紀子にはもうその醜い顔をニ度と国民の前に晒して欲しくない。
まして、息子を後継者に立てる等、言語同断だ。
真紀子のような無能で有害なニセモノ改革派が消滅した時で、
一歩でも政治改革は前進…?
思いたい。