子供の頃は誰かの影を踏めば、それが糸を引くようだった。
耳を澄ませば、悦に入った子供の笑う声が聞こえる。
それが僕だった。確かに何かを獲得していたのだ。
そういえば、アリス・リドルはユニコーンに向かってこう言った。
「ユニコーンなんて想像上の動物だと思ってた!」
ユニコーンは答える。
「君がそう思うならそうなんだろう。 でも僕も人間の子供を見るのは初めてなんだぜ。」
「君が君の夢に僕を入れてくれるなら、 僕は僕の夢に君を入れてあげよう。」
ユニコーンはそう答えた。
同じフレーズがボブ・ディランの第三次世界大戦を語るブルースに出てくる。
なんによらず、僕はボブ・ディランが好きだけど、
結局はこのフレーズがずっと頭の中に残っている。
ところで、最近僕のよく口にする言葉と言えば、
「ほんとにおまえはファッキュウさんだな。」
大概、配達中にぶつぶつぶつぶつ呟いている。
遂に頭がいかれてしまったのかもしれない。
でも、あれだ。曇り空って、じっと凝視すると
だんだん頭が混乱してくる。
抜けるような青空とはいうけれど、
曇り空だってはっきり言って僕には見通せない。
もつれっぱなしの僕の頭は、さらに収拾がつかなくなってしまう。
だが、それはよい。
結局、糸電話の要領で何かが何かに繋がっているとしたら、
僕は今、その糸なりなんなりをぎゅっと掴んでるってことだ。
そうすれば音は聞こえやすくなる。
そんなの小学生でも分かる。
小学生の時の実験じゃ、明らかに紙コップからより、
じかに聞こえる声の方が鮮明だったが、
原理的には合ってるのだ。
まちがっちゃぁいないはずだ。
だから僕は今、ささやかながら幸せだ。
何かに向かって書く方が、
気持ちがより熱くなる。
言葉はきっと原初的なものに変わって行くだろう・・・
誰かの影をふんずけた感触がありありと僕の足裏に残っている。
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