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ラヂオスターの悲劇
トマーシ
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2003年06月16日(月)

子供の頃は誰かの影を踏めば、それが糸を引くようだった。

耳を澄ませば、悦に入った子供の笑う声が聞こえる。

それが僕だった。確かに何かを獲得していたのだ。

そういえば、アリス・リドルはユニコーンに向かってこう言った。

「ユニコーンなんて想像上の動物だと思ってた!」

ユニコーンは答える。

「君がそう思うならそうなんだろう。
 でも僕も人間の子供を見るのは初めてなんだぜ。」

「君が君の夢に僕を入れてくれるなら、
 僕は僕の夢に君を入れてあげよう。」

ユニコーンはそう答えた。

 同じフレーズがボブ・ディランの第三次世界大戦を語るブルースに出てくる。

 なんによらず、僕はボブ・ディランが好きだけど、

 結局はこのフレーズがずっと頭の中に残っている。

 ところで、最近僕のよく口にする言葉と言えば、

「ほんとにおまえはファッキュウさんだな。」

 大概、配達中にぶつぶつぶつぶつ呟いている。

 遂に頭がいかれてしまったのかもしれない。

 でも、あれだ。曇り空って、じっと凝視すると

 だんだん頭が混乱してくる。

 抜けるような青空とはいうけれど、

 曇り空だってはっきり言って僕には見通せない。

 もつれっぱなしの僕の頭は、さらに収拾がつかなくなってしまう。

 だが、それはよい。

 結局、糸電話の要領で何かが何かに繋がっているとしたら、

 僕は今、その糸なりなんなりをぎゅっと掴んでるってことだ。

 そうすれば音は聞こえやすくなる。

 そんなの小学生でも分かる。

 小学生の時の実験じゃ、明らかに紙コップからより、

 じかに聞こえる声の方が鮮明だったが、

 原理的には合ってるのだ。

 まちがっちゃぁいないはずだ。

 だから僕は今、ささやかながら幸せだ。

 何かに向かって書く方が、

 気持ちがより熱くなる。

 言葉はきっと原初的なものに変わって行くだろう・・・

 誰かの影をふんずけた感触がありありと僕の足裏に残っている。