先日日記に書いたとおり、私はファンタシースターオンラインVer.2にはまっています。よく作りこんである、面白いゲームです。
ですが、昨年12月に初めてプレイした時の、私が今までにあらゆるエンターテインメント作品において感じた事が無かった、あの素晴らしい感動や感激は得られませんでした。
何故かというと、「冒険でないから」です。
私は発売日にPSO(1)を買い、即日、セガのサーバーが立ち上がると同時にネットワークに繋げました。当時は、当然のことですが私も含め全員が「素人、LV1」だったわけです。 何も、情報が無い。全てが手探り。攻略ホームページも違法改造プレイヤーもいません。これこそが冒険……これこそが私の求めていたエンターテインメントだったのです。 何度もやられながら作戦を立て、初めてNomalモードでラスボスをクリアした時…もちろんまだ先にはHardやVeryHardモードがあったのでゲームとしては先が長いのですが…あのとき感じた感動に比べると、どんな小説、映画、ドラママンガアニメゲーム…その他全てが陳腐化してしまいます。そりゃあそうです。自分が主人公の一人になっているのですから。これほど気持ちがいいことがあるはずが無い。 もちろん、これはセガ・ソニックチームの「与える情報」や「プレイヤーに考えさせる情報」の量のバランス取りが素晴らしかったからです。だから、私はこのゲームを名作と呼びました。他にも、プレイヤーにネットワークすら初心者が多かった事、序盤は助け合いが不可欠だった事などをはじめとして、「このゲームでなければならなかった理由」は数多くあります。
もちろん、この素晴らしい時間を享受するには「楽しみ方を知っている」「コミュニケーションを知っている」といった、人間として普遍的な事柄ができなければどうしようもありません。ただ、クリアをするのならばレベルを上げれば良いのです。 私は、その辺りを誤解したプレイヤーの数が楽しめるプレイヤーの数を超えたときに熱狂的なPSOファンでなくなり、情報や改造が横行するようになったときにPSOから離れました。 同タイミングで、あの時一緒に感動を分かち合っていた人の多くがPSOから離れていきました。
そして今、PSO2が発売し、私を含め懐かしい顔ぶれがPSOに戻ってきています。ですが、PSO1からのいわゆる「チーム」が出来上がっていたり、発売4日目にして改造者が出たり(この辺りはソニックチームがかなり強硬な手段で封じている模様ですが…)と、12月の様にとはいきませんでした。ストーリーややる事自体は大して変わっていませんしね。
ふと、プレイヤーを検索してみたら、12月や1月に組んだ仲間がオンラインにいました。たかがゲームですが、考えあい、励ましあい、助け合い遊んできたれっきとした「遊び仲間」です。
ネットでしか会っていない人間に何を言っているの? と思う方もいらっしゃるでしょうが、この場合、ネットでしか会っていない…延いてはPSOでしか会っていないことこそが重要なのです。 なぜなら、お互いに最高かつ限定した中で、最良の遊び仲間であるからです。 ここで重要なのは「演じている」うちは、最高の遊び仲間にはなりえず、「演じていない」という事は現実社会では不可能であるという事実です。「匿名性による悪」の真逆の意味と思っていただければわかりやすいと思います。
そして、彼…多分、彼女じゃないと思う。たいした問題じゃないが…にメールを出そうとすると、逆に私に一通のメールが届きました。 「ひさしぶり。やらない?」 言葉で言い表せない様な…強いて言うなら、子供の頃以来感じた事の無い、純粋な「嬉しさ」が私の中に広がりました。彼からのこの簡潔なメールに含まれた様々な意味をきちんと感じ取れる人は、まちがいなく、彼と私だけです。 このメールの意味を他人にあえて伝えようとすると、大変長い話になってしまいます。そして、どれだけ言葉を並べても理解してはもらえないでしょう。
たった二人の為の冒険小説。
これ以外にこの彼からの短いメールを形容する言葉が見つかりませんでした。 ナルシスト、勘違い、オタク…傍から見たらそんなものだと思います。
彼とプレイしてみましたが、充分楽しいのですがやはり以前の様な面白さは得られませんでした。彼もそう思っているらしく、共にのんびりと懐かしさをかみ締めながら新しいゲームをプレイしました。
これは、私だけでなく、おそらく多くの初期PSOプレイヤーが感じた事だと思います。そして、私たちは遊んだつもりで、遊ばされているのでしょう。ですが、これほどまでに楽しく遊ばせてくれたソニックチームには、素直に感謝したいと思います。
さーて、PSOやってこよっと。
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