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城南支部での大きな出会い3人目は数見先輩です。私が城南支部の蒲田道場を見学に行った時は自主トレスペースでサンドバックに蹴り込みをしていました。凄い迫力だったのを覚えています。数見先輩を初めて見たのは1991年の東北大会で数見先輩が優勝した時でした。自分と1つしか年が変わらないのに、私がいつも指導して頂いている全日本空手道選手権大会に常連で出場している先輩方に勝って優勝していました。次は第5回世界大会で八巻建志先輩のセコンドに付いている姿を見かけました。次は1992年の第24回全日本空手道選手権大会で数見先輩が準優勝した時で、次は1993年の第1回全関東大会で数見先輩が優勝した時でした。その後は大会会場や大会会場近くのコンビニなどで数見先輩を見かけたりしていました。1993年の第24回全日本空手道選手権大会で優勝した時は本当に凄い人だったんだと思いました。そして次の年の4月に城南支部の蒲田道場で数見先輩がサンドバックを蹴っているのを見たわけです。私は最初は数見先輩が指導する5時のクラスに参加して、7時から数見先輩と自主トレすると言う感じでした。入門して1ヶ月ぐらい経った時に数見先輩に食事に連れて行って頂きました。蒲田にある祭寿司と言うお店で、笹岡先輩、木浪先輩、数見先輩、阪田先輩と自分でした。黒帯の先輩方に交じって私もその場に呼んで頂き、とても嬉しかったです。その後は飲み会などでよく席をご一緒させて頂くようになりました。数見先輩とはよく打ち込みと蹴り込みと砂袋を一緒にやらせて頂きました。スパーリングはパンチのみ、パンチ下段のみ、全部ありのスパーリングと言う感じでやっていました。そのあたりまでは先生と生徒と言う感じでした。数見先輩とな関係がぐっと近くなったのは極真会館が分裂して、私と一緒に稽古していた先輩方が現新極真会の方に行ってしまったので、私は内弟子が稽古する朝練に参加して、内弟子になってからです。そこから毎日一緒に稽古させて頂くようになり、夜も一緒に銭湯に行ったり、一緒に食事に行ったりするようになりました。一緒に稽古したりプライベートでも一緒にいるうちに数見先輩の凄さや素晴らしさを感じ、私も数見先輩のようになりたいと思うようになりました。私の中では史上最高の空手家は松井章圭館長か数見先輩だと思っています。今でも数見先輩の背中を追いかけています。私が股関節を人工関節にする手術をしたあと、ある先輩に「そんな所まで数見さんの真似しなくてもいいのに。」と言われました。数見先輩の素晴らしさは近づけば近づくほど凄さや素晴らしさが分かると言うことです。人間は近づくと悪い所もたくさん見えるものですが、数見先輩は悪い所がほとんどありませんでした。優しくて強くて自分に厳しく人に優しく後輩にまで気を使う方でした。
kanno
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