20年ぶりの再会とお通夜 |
今日は疋田先生お休みでリハビリなし。 昼から杉谷先生の包交が終わったら、4時ごろにお通夜に向けて出発予定。
そして、2時からけんちゃんがお見舞いに来てくれる予定やった。
朝からは、いつものように山崎さんとお話して 1時45分くらいから杉谷先生の包交。 山崎さんにけんちゃんの写真見せたら、イマイチやなぁってゆうてた(笑)
2時15分くらいになって、けんちゃん到着。
Facebookなんかで見てた写真通りやった。 かしこそうな青年になってたなぁ。 あんまり自分のことは話さず、私に対しても緊張してるようやった。 A型やったかなぁ。 今も昔もそんな印象。 けんちゃんが喋ってるイメージって、思い返せば全然ない。 まりちゃんとの思い出ばっかりや。 ゆかちゃんゆうくんも喋ってるイメージあるんやけど けんちゃんは、はにかんでるようなイメージが強いな。
高校までサッカーやってて、一浪して関学いって バンドでギター弾いてたらしい。 今もちょっとやってるのかな。 昔、ヤマハのピアノで一緒やったわ、そういえば。 ピアノも続けたらよかったって。 今は、住宅メーカーの人事をやってるらしい。
人との出会いを大切にしてるような印象。 うちの親にも会いたいって言ってくれて せっかくなので、おかんが迎えに来てくれるのを待ってもらった。 それまで、幼稚園の頃のビデオを見たりしてた。 いろいろ思い出したけど、けんちゃんはもっと覚えてるぽかった。 でも、敢えてはそれを言ってくれなかったな。 そんな青年やった。
おかんが4時45分くらいにやっと到着。
誰でしょうって聞いたら「かっちゃん!?」ぶー! 「橋本…?」同じ人や!「もっと昔の人!」 え〜…?
って、やっと気づいてくれた。
思った以上にびっくりして喜んでくれた。 会わせてあげれて良かったな。 私以上に喜んでた。 そりゃだって、おかんのいい時代の思い出だもんね。 私もこれからたどるだろう、激動の時代のメインでしょ。
残念なのは、記念写真をとれなかったこと。 けんちゃんも、お母さんに見せたがってたな。
帰る途中で鍵を持ってないことに気づいて、こーじにお願い。 結局家に着いたのは5時過ぎやった。 ちょうどすぐ後におとんも到着。
しびこが、両目ともだいぶ悪くなってるようやった。 かわいそう。 もっぺん診てもらいにいかないとな。
着替えて、お菓子や飲み物を買って、式場へ。
私はこーゆー現場がかなり苦手や。 もう、みんなに何を言ったらいいのかわからへんくなっちゃう。 周りの人の気持ちを考えて、思いやる言葉をかけられるといいな。 苦手なんだから、勉強しないと。
清政さんが来てくれていたので、挨拶をした。 こーゆー挨拶も、妻としてきちんとできるようにならないとな。
お焼香が始まる前から、ゆめちゃんは大泣き。 だんだん声をあげて泣くのにつられるように ゆうくん、しげおのおっちゃんも声をあげて泣いてた。
私は、どうしても他人行儀なところがあったけど お義父さんの気持ちを考えたり、みんなの気持ちを考えると、涙が出た。
強いのはお義母さんや。 お義姉さんも子供をあやしながら、涙ぐむ程度やった。 女性は強いな。 井上家は、そうはいかないけど。
何にしろ、いいお通夜だった。 みんな、お義父さんの優しさがわかる人ばっかり。 愛される人間だったことが伝わってきた。
お義父さんと呼べるような関係を、築きたかったな。
少し長いお坊さんの話が終わってから 会社のホームページを見て駆けつけてくれた、金光さんに挨拶をして みんなで通夜ぶるまいをいただきながら、いろいろと話した。 ただ、骨折の足を抱えて、非常に居心地が悪かった。 何もお手伝いできないし、みんなに気を遣わせてしまうし。 何もできないんだから、それに甘えて、みんなと話をしたらいいのに なかなか深い付き合いになりそうだと、壁を作ってしまう自分。 今回は特に、ひどくてイライラした。 なじめないな。。。きちんと、こーじの妻にならなきゃ。 頑張ろう。
10時過ぎに、おとんがそろそろと言い出したので どこに帰ろうか相談して、結局実家に帰ることに。 久々の実家での就寝だ。
でも、予想通り階段の上り下りはあるし 家の中でも風呂とトイレに段差があって しかも全体的に広いから、ケンケンでは移動しにくくて 余計に実家にいるイメージが悪くなっちゃった。 もう、これからも泊まることはないかもしれない。 残念だけど、ほんとに嫌なんだ。 まぁ、私の家に両親を呼べたら一番いいよ。
夜は、あつしのベッドで寝た。 久々のふかふかベッドは、快眠である。
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2013年08月28日(水)
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