三文役者
やす



 ごみ

怒りに身体を震わせながらも、呑み込んだ言葉がある。
もはや人として向き合う価値すらない。
そんな気持ちが言葉を失くした。

あの選択は今でも正しかったと思える。
ただ例え間違った選択であったとしても、
言葉にするべきだった、という思いは今でもある。
あの時発せられるべきであった言葉は、
この先一生宙ブラリンのままだ。

ゴミにかける言葉などない。
それでも「あんたゴミだよ」と言ってやるべきだった。

もうだいぶ昔の事。もう終わった事。
それでも思い返すたび、言いようのない虚無感に包まれる。

そしてなんだかんだこんな経験こそが、
自分にとっての大きな原動力になっていたりする。

2006年12月26日(火)
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