小学校低学年のとき、ふざけていたクラスメイト(男子)に、ランドセルをつぶされた。校庭の後ろ、体育館の横、ブランコやタイヤのあるあたりで。そのときわたしは、誰か友達を待っていて、本を読んでいて、ランドセルは近くに置いておいたのだ。わたしが何をしたっていうの? 本に集中していて、理由は全然わからなかった。 わたしは小さいころ、男の子によくいじめられていた。ぼうっとしていたせいかもしれない。本ばかり読んでいたのでクラスでも浮いていた。女の子達は、まあ、そういう子なのよね、と思っていたのか、とくにいじめられなかったし、一緒に登下校したり、遊ぶ子も何人かはいたので、とくに気にしてなかったけれど。このときばかりは本当に悲しかった。卒業するまで、背負うたびに悲しかった。 小学校高学年のとき、髪の毛をひとつにまとめて、母にリボンを結んでもらったことがある。きっかけはなんだったかわからないが、クラスメイトの男の子に、一番のお気に入りだった、桜色(白いすかし模様が入ってた)のリボンをひっぱられ、とられたことがある。髪はぐちゃぐちゃになるし、さんざんだ。帰る道々泣いたし、帰ってからも泣きつづけた。 わたしは、その男の子達に、かくべつ何かをした覚えはない。男の子達は、皆うるさくて乱暴で下品な、よくわからない生き物でしかなかったので、できるだけ関わらないようにしていたはずだ。わたしはぼーっと教室の片隅で本を読むことだけで満ち足りていたのに、どうしていちいち意地悪をしにくるのか、見当もつかなかった。 中学生になると、わたしはぐんぐん背が伸び、ほとんどの男の子は事実見下せるようになったし、成績もあがり、何より本だけでなくひととも喋るようになったせいか、とりあえずいじめられなくはなったが。わたしはこころのどこかで男子という存在がとてもいやになったらしく、自分で選べる高校・大学は、女子だけのところに行った。 こんな人間でも、成人する頃にはすこしずつ男の子を人間として見られるようになったし、その後一応縁あって、今は結婚もしてるので、世の中はありがたいところだけれど。今はもう、「男の子」のいいところも、「男の人」のいいところも、余裕をもって眺められるようになったけれど。でも、あの日のちいさなわたしがとても悲しかったことや、今でも思い出すと泣きたくなることは、たとえどんなに素敵なひとが優しくしてくれても、愛してくれても、消えることはないのだ。
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