stray notes

氷砂糖

My追加

おそらく二度と行けない場所・その2
2003年02月27日(木)

わたしの頭には地図がない。いつも使うお店や職場や駅などは、なんとか(泥の海にぷかぷかと浮かんでるような感じで)頭に入っているけれど。頭に浮かぶ間は、それをめざして歩き、たどりつくことも可能だけれど。水底に沈んでしまったら、どう頑張っても記憶を呼び戻すことが出来ない。

そして現在自分が行ける場所であっても、ひとに説明することはさっぱりできない(一緒に歩いて連れて行くことならできる)。ふだん適当に進み、適当に曲がり、適当に行っているので、途中の行程をよく覚えていないのだ。地図を渡され、この場所に行くようにと指示されれば、そこへは行けるだろうけれど。帰り道は地図なしで帰ってください、といわれたら迷子になるだろう(ちなみに夫は、頭の中にきちんと3Dの立体地図があるらしい。近道を検索したり、回り道を考慮したりと、機能も充実しているようだ。勿論ひとにも説明できる。そういうひとと一緒だからあまり成長しないのだろうか?)。

前置きが長くなったけれど、そういうわたしなので、散歩の途中で素敵なお店をみつけても、次回行けるとは限らない。むしろ行けないことのほうが多い。ぶらぶらと辺りを散策するのはいつでも大好きなのだが、ときどき淋しくもなる。たまに、なんの脈絡もなく思い出したりする。

たとえば、高校生のとき、修学旅行で訪ねた京都。表通りのお土産やさんの、異様に気合の入った売り込みに少し疲れて、友人達から離れ、ひとりでべつな道にはいり、みつけたお店。様々な種類の、色と質の紙が売っていた。ほの暗い、ひっそりとした店内に、若く小柄な女性と、高齢の女性がいた。わたしは少しどきどきしながら、自分用のお土産にしようと、色々な模様の和紙が入っているつつみをひとつ買った。

帰宅してから、本のカバーにしたり、小物入れをくるんでみたり、カードを作ったりした。だんだん数が減り、いつのまにかなくなった。もう一度京都に行く可能性は低いだろう。もし行ったとしても、いかにも修学旅行生の通るようなお土産やさんの道へは入らないだろう。もし運良くあの道に入れたとしても、あの店がまだあるかはわからない、あの店があったとしても、見つけられるとはあまり思えない。

思い出してどうなるものでもないが、そういうこともあったなぁ、と思う。



BACK   NEXT
目次ページ