stray notes

氷砂糖

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ご縁があったりなかったり
2003年10月15日(水)

わたしが就職活動をはじめたころは、ちょうど氷河期、という言い方が使われだしたあたりだったと思います。もちろんそれだけが理由ではないのですが(要領悪いしとろいし世間知らずだし)、不採用通知はそれなりに受け取りました。このたびはご縁がなかったということで……というあれですね。最初は貰うたび、ずーんと落ち込んでいたのですが、数をこなすとだんだん平気になってしまい、そっかーご縁がなかったのねー。じゃ次いこー、みたいな感じになっていました。2月にやっと拾ってくれる会社が見つかり、あーこことはご縁があったのね、と思った記憶もあります。

その後もこの「ご縁がある・ない」という発想は、わたしのなかで気に入ったまま定着しました。もともと粘り強くも根気強くも忍耐強くもないので、ずっと悩み続けたり、執着し続けたりするパワーやエネルギーも弱いのだと思います。人間関係も、ご縁があればうまくいき、なければ駄目なんだろうな、と思うと楽になれる気がしたんですね。何かうまくいかないことがあっても、まあそういう運命だったのかもしれないし、そういう人生もありだろうし、とか、どんどん簡単に片付けてしまう癖がつきました。考えなくてはいけないことも、しなくてはならないこともたくさんあるなら、過ぎたことに関しては、とりあえずあまり時間を割きたくないなと思うようになっていたので。

縁、というのは不思議なもので、世の中にどれだけ沢山の人がいても、会える人は限られているし、会えても会わないままだったり、ほんのちいさなはずみで会えたり会えなかったり。土地でも、とくに行きたいという意思がなくても、妙に関わりの出てくる場所があれば、行きたいなと思っていても、思うだけで終わってしまう場所があったり。面白いなぁ、と思います。子供の頃こうなるとは思ってなかったなぁ、大きくなってからも予想すらしなかったよなぁ、ということを経験できたりすると、自分の意思だけで生きてるわけじゃないんだなぁ、としみじみ思います。

WEBの世界でもそう。enpituを使っていなかったら出会えなかった人がいる、詩を書いていなかったら出会えなかった人がいる。縁や絆は見えるわけでも触れるわけでもないから、時間がたつと切れてるかもしれないし、かたくなったりよわったりしてることもあるだろうけれど。一時でも出会えたこと、関われたこと。それはやはり凄い嬉しいことだと思っています。同時に、この広いWEBの海でも、ものすごくいい文や世界をもっていても、出会えることのないひと、というのもたくさんいるんだろうな、と思います。少し淋しい気もするけれど、それもやはり縁や運があるのだろうから、仕方のないことではあるんでしょうね。



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