stray notes

氷砂糖

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あの日と同じ風が吹いても
2003年10月21日(火)

ときどき、吹いてくる風の中に。何か昔と同じような肌触りを感じることがある。ああ、こういう日が昔もあったような気がする、と。でも、それがどんな日でどんなことがあったのか、というのはよくわからない。ただ、懐かしさや心苦しさやせつなさだけが胸に迫ってくる。

少し前、夫と歩いていたとき。
「わたし去年のいつ頃がどんな気候だったとか、自分が何してたとか、全然覚えてないよー。毎年新鮮でいいけどさー」と言ったら、
「それは人間として、というより生き物として問題がないか?」
と困ったような顔で言われた。彼はわたしがあまり多くの記憶を持たず、というか持てず、少しの記憶だけで暮らしているのを一番よく知っているひと。

わたしの頭は、記憶をおいておくスペースが異様に小さいか、スペースがたくさんあっても少ししか書き込めないのか、書き込んでいても読めないのか、同じ所を何度も上書きしていて新しい記憶しか引き出せないのか、とにかくあまり性能がよくないのだと思う。また、そばに優秀な外部記憶装置のようなひとたちがいたので、余計に怠けているのかもしれない。

辛いことを忘れられるのは福音かなと思うけれど、楽しいことを覚えておけないのは呪いのようだ、と思うこともある。記憶は全部がとけてなくなるわけではないらしいので、かなり強いロックがかかっていたり、忘れたことにしていることが大量にあったり、という可能性もあるのだろうけれど。

記憶の中でも、一番弱いのが、おそらく「ひと」の情報であるように思う。昔から人の顔や名前を覚えるのはかなり苦手で、クラスメイトなんて仲のよい数人しか覚えられず、それすら卒業すれば忘れてしまうほうだったし、芸能人も、好みでなければほとんど覚えられない。そのことで苦労はあまりしていないが、過ぎれば消えていくことばかり、というのはすがすがしい反面、さみしい人間になるのかも? という気もする。

愛情の反対は無関心だ、という。一番辛いのは忘れられることだ、とも。とするとわたしは、かなり冷たくて薄情な、とてもひどい人間なのだろう。

*ちなみにWEB上でであった人は、またすこし感じが違います。でも、長くなったのでその話はまたいつか別の機会にしますね。



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