stray notes

氷砂糖

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後にならないとわからないこと。
2003年12月20日(土)

事情により、学生時代に一般教養で習った、ある科目のノートを眺めている。事情を簡単に説明すると、仕事で多少その知識が要るのだ。もともと今の仕事は「職種」を希望して一括採用されたのだけれど、「配属先」は特定分野専門だったので、少しはわかっておかないと不味いかも、と再び勉強しだしたのだ(変な説明ですみません、よくわからないかたは単に何か勉強しなおしてると思ってください)。どこまで必要でどこから不要かは謎だけれど、とりあえず白紙よりはましだろうし、下地にとっかかりがあるぶん学びやすいだろう、と。

さて。わたしは基本的には真面目な学生だったらしく、この授業は全部出席しているようだ(ありがたい)。しかし日によって、かなり字や内容にムラがある。そして綺麗に書いてあるところはそれなりに思い出せるが、殴り書きのようなところは流れすらうまく追えない。ときどき欄外に「この日は前日2時までレポート書きのため眠い」とか、「この日は先生が利き腕に怪我をしたので板書が少い」とか注が入っている。おそらく試験前の自分にあててメモを残しておいたのだろう。基本的な性格は変わらないものだ。そしてたまに、先生が雑談で話していた、授業とは関係のない話まで書き取ってある。たぶん、興味をひかれて書き付けたくなったのだろう。記憶力の弱いわたしだが、当時の授業風景を思い出し、うっすら懐かしくなった。というように脱線しながら見た結果、使えないところももちろんあるが、利用できるところもそれなりにあることがわかった。

しかし当時のわたしは、卒業後こんなに時間がたってから、未来のわたしにノートを読み返されるとは思ってなかっただろうなーと思う。もともと大学では将来に役立てるため、ではなく、そのとき興味のあること、を中心に授業をとっていたし。もうひとついえば(一般教養だし)、下手をすると単位取れればいいやくらいにしか考えてなかったかもしれない。

後悔、というのは、本当に時間がたってからしかできないことだけれど。何が自分の役に立つか、というのも、後になってみないとわからないことが多いのかもしれない。いや、普通のちゃんとしたひとは、最初から役に立つよう努力してるのかな。わたしが行き当たりばったりだからこう思うだけで。



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