アイツが帰ってきた。 冷たい冬の風が舞い込むドアから、音もなく入ってきて 当然のようにそこに立っていた。
風。一瞬頭の中によぎった匂い‥
振り向く前に、私はそこに誰がいるのかを悟った。
「‥よっ」
アイツは、私の声を無視するかのように部屋をゆっくりと見回しながら ゆっくりと歩いてきた。
雰囲気こそあの頃と変わらないまでも、再会したアイツは、心の錆びを 顔に出していた。出会い、別れ‥。長い孤独な旅から帰ってきた男にしか出せない 疲れの色だった。
私は彼のためにミルクを温める。
自分には、お気に入りのキリマンジャロを丹念にドリップした。 コーヒーの香りが部屋に満ちる。悪くない香りだ。
遠い昔、このコーヒーの匂いがしみこんだ、海の見下ろせるカフェで 愛してしまった女を待ちながら、自動ピアノが奏でるショパンを聞いた。 そう。二度と逢えないと知ったあの日も、こんな冬の陽射しが差し込む昼下がりだった。 そう、長い間会わなくても、言葉さえ交わさなくても私たちには 目だけで話せる会話がある。
「コトッ」
彼がマグカップを置いた。
強い輝きを持つ目を一度だけ伏せて、アイツは立ち上がった。 懐かしそうにそしてゆっくり、壁の方に向かう。ふいに背中越しに私は声をかけた。
「もう行くのか?」
アイツは、向き直り、そう問いかける私の顔を真剣に見つめながら、体を振るわせてた。
ヤバイ。この瞬間ふたりの間には、壁が、空気の壁が存在することに気が付いた。
一歩ふみだす。冬の風がかすかに動く‥ 言わなければ‥ このあと俺たちの関係がどうなろうと、今アイツに言わなければならない事がある‥
『だぁー!!まめお!そんなとこで、シッコしたら、いかん!!』
時はすでに遅かった。何事もなかったかのように、彼は「ニャー」と鳴いた。
「くっせえよっ(キムタク風)」
まめおを肩に乗せてファブリーズを探す私であった。
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