umityanの日記
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| 2002年04月15日(月) |
鳥の安らかなる死に合掌。 |
鳥の安らかなる死に合掌。 at 2002 04/15 13:22 編集
とうとう鳥が逝ってしまった。今日の雨みたいに、僕の心も湿っている。火葬にふして、どこかに埋めてやろうと思っている。今、思えば、「キリッツ」と天を見据え、身じろぎだにしなかった、その姿には、すでに、諦念の気持ちがあったのか、それとも、生きようという、執念の表れだったのか、分からない。いずれにせよ、「見事な最期だったね」と言ってやりたい。人間も最期はかくありたいと思うが、どうなんだろう。僕は言葉ではいつも、芭蕉や山頭火みたいに、全国を行脚しながら、旅の途中で「パッ」と行き倒れたら、それが最高の逝き様だと言っているが、はたして、本心はいかなるものか?。「逝きたくない、おかあちゃん・・・・」と、めめしく泣き叫んでいはしまいか。正直なところ、その場に遭遇してみないと分からない気がする。死は死でも、貿易センタービル爆破テロや、パレスチナ人の自爆テロは、あまりにショッキングで悲しいことである。日本の特攻隊員のことを連想させられた。父、母、兄弟、民族、国を思う気持ちは皆一緒である。ただ、方法論的には自爆やテロは許されてはならないことだ。テロの中から本当に良いものがうまれるのだろうか?世界の歴史は戦争の歴史だったかもしれない。21世紀の今、戦争はもう過去の遺物としたいものだ。戦争からうまれるもの。それは破壊、貧困、消滅以外の何ものでもない。それを良く知っているのは、「考える葦」たる人間ではないか。鳥の死がちょっと、僕の心を興奮させてしまった。「冷静に、冷静に・・・・・」。今は、鳥の安らかな眠りに合掌しよう
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