umityanの日記
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| 2002年04月19日(金) |
雑草君の生命力と僕の生命力との闘い。 |
雑草君の生命力と僕の生命力との闘い。 at 2002 04/19 11:46 編集
昨日の夕方は久しぶりに、草刈機を肩にかけて、雑草を刈った。病み上がりの僕にはズシッと機械が重いぜ。本業も副業も不景気のあおりを受けて、あがったりだ。しからばということで、運動がてらの野良仕事に着手。面白いように雑草がなぎ倒されていく。「わおーーー、久しぶりの快感」とか言うと、「あんた、危ないな。変態じゃないか?」と疑われそうだ。いやああ、それにしても、雑草君たちの生命力はすごい。しばらく忘れていると、あれよあれよというまに成長している。結局、いたちごっこみたいなもの。追っても追ってもまた出てくる。刈っても刈ってもまた伸びてくる。こうなりゃ、雑草君との闘いだ。草を刈りながら、思いだした。「生命力ってなんだ?何のためにいきているのか?」って。最近、読ませてもらった、ある人の日記にも、そんな疑問が書いてあった。人間は所詮100年しか生きれない。その間、両親は遺伝子の半分ずつを子どもに与える。孫になると、四分の一の遺伝子が承継される。更に代が進めばどうなるだろう?。いくら子孫といっても、自分とは関係が希薄になり、顔さえ忘れられてしまい、もう他人みたいなもの。それでは何故、宇宙という大自然は、こういう仕組みを作ったのだろう?。何か目的があったのだろうか?。 僕はその疑問の解答を求めて悶々としたことがあった。色んな本も読んでみた。今、行き着いた結論は、生命力とは生を継続する力であり、何のために生きているかは、種を進化させるためであると。結局人間は100年程度をサイクルとして、子孫に進化した遺伝子を伝えていく。このことは人間に限らず雑草も、自然界のあらゆるものが種の進化を担って生を継続している。地球も宇宙もそうだ。宇宙も生成、消滅の循環サイクルに乗っかっており、われわれはその構成員ってわけだ。こう考えるとなんとなくつじつまが合うような気がする。かくて、僕は思っている。次の世代がよりよく進化するために、僕が先祖から得た進化の情報と、新たに経験して得た情報をミックスさせ、子孫に伝えることによって、子孫の進化の一助を担えばよいと。楽天的発想かも知れないが、そのために、僕は毎日、勉強をし、たくさんの人と知り合い、愛し、力強く、明るく、スマイルで生きていこうと思うわけだ。心優しきメーテルさんの声が聞こえる。「あなた、ノンベーの習慣は後世に残しちゃだめよ」って。おおおおお、くわばら、くわがら。
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