umityanの日記
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| 2002年05月04日(土) |
日記を書き始めた動機ー(1) |
日記を書き始めた動機ー(1) at 2002 05/04 19:41 編集
日記らしきものを書きはじめて、ほぼ二年近くになる。三日坊主の僕なのに、よく続いたものだと、自分で自分を褒めてやりたい。まだまだ続けたいと思っている。日記を書き始めた動機は、至って単純。「人口60億の世界のなかの誰か一人でも読んでくれる人がいたらいいなああ」という発想だった。その発想に尾ひれをつけるなら、ひょっとしたら恋の花が咲いて、絶世の美女から、「あなたに共感します。お慕い申しあげています」とか何とか、メールが来はしまいか、と愚かな夢を抱いたことも事実である。ありえないこととは知りつつ、「わおーーーっつ」と叫んで、想像をふくらましながら、美酒に浸るのも悪くないではないか。どうも、僕は昔からおめでたかったようだ。何を隠そう、この僕ちゃんも、学生時代に、数人の人と同時に文通をしていたことがあった。勉強のために、親元を離れて、県外のよそ様の家を間借りして生活を始めたころ、純情無垢な僕はきっと淋しかったのだろう。色んな雑誌の文通欄から、歳の近い女性を探して、ランダムに手紙をかいたものだ。結構、返事が返ってきた。数回手紙を交わすうちに、相手の女性にニックネームをつけて、その愛称で手紙を書くようになった。今、思いだすと、あな恥ずかしいが、たとえば、「ベアトリーチェ」とか、「ミーガン」とか、「スピカ」とか言う愛称の女性がいたっけ。外国の小説に出てくるヒロインの名前である。一日に三・四通の返事が来て、大家さんも、「この人の神経はいったいどうなっているの?」と思ったに違いない。そうこうしながら月日は流れた。いざ、学校を卒業するころには、押入れの中には、数袋のペーパーバックが転がっていた。部屋を引払うときに、このレターの山を、まさか実家に送り返す勇気なんてなかった。キレイさっぱりと火葬にふすことにした。ようしたもので、青年の移ろいやすい気持ちは、同一の人とそう長く手紙のやりとりは続かないものだ。ただ、「スピカ」とニックネームをつけた女性とは、卒業してからも、実家に手紙が届いていた。母が、けげんそうな顔をして、「スピカさんてどなた?」と聞いたことがあった。もちろん、冷や汗をかきながら、危機を脱しはしたが・・・・・。長くなりそうだ。今日はここまでにして、これをパートワンにしよう。(続)
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