umityanの日記
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2002年06月24日(月) やがて一年の半分

やがて一年の半分
at 2002 06/24 11:51 編集

やがて一年の半分が過ぎようとしている。「この半年、僕は一体、何をやってきたかなーーー?」と振り返ってみると、これと言ったことは、何もやっていないように思える。定かに思い出せないのだ。ということは、僕にとって、生活上の大きな変化や転機はなかったことを物語っている。平々凡々とその日暮らしをしてきたようだ。こんな時、日記はとても便利だ。毎日、書いていなくても、「あの頃はこんなことがあったっけ」と、一応、記憶をたどることが出来るからだ。そういえば、僕の日記は、友人達との酒の話が一番多いようで、ついで草刈を含めた仕事の話、時折、社会の出来事なんかについて書いているようだ。日記は交換日記ではなく、公開日記なので、言葉を選んで、時には脚色して書いているが、その時々において、「ああいうことを考えていたんだなあーーー」と自分を再発見できるところが面白い。ただ、自分の日記を見ながら気付いたことがある。それは、毎年、同じ時期には同じ話題がテーマになっていることだ、季節で言えば、六月は梅雨のこと、五月は風に泳ぐ鯉のぼりや、青葉・若葉のこと、四月、三月は桜のこと。季節以外の面でも、同じような傾向が見られる。さらに、ど季節にあっても、いつも友人達との酒盛りが大きな話題を占めている。「あんた、よっぽど、大酒飲みばいな」と言われそうだが、あにはからんや、そうではない。僕は夏でも、冬でも、家で飲酒することはほとんどない。外でばかりである。又、本質的にアルコールが好きと言うわけではなく、付き合いで飲んでいたら、自然と飲めるようになっただけである。要は、付き合いの一手段として、アルコールがあるのだろう。おまけに、キレイどころから、さしつ、さされつで、「ミルンさん、もう一杯いかが?」とかなんとか言われると、それはもう、「断ってはだめ」という気持ちになり、「おいちーーー、もう一杯」と言って、羽目をはずしてしまうのが、いつものパターン。「こういう性格はいったいどうしたもんだろう?」と、正直に考えてみると、要は、「淋しがりやの甘えん坊、とっちゃん坊や」と言うことになるか。暴れん坊ではなく、手におえるから、まだ、救いがあるというものだ。友人が、「そこまで自分を落とさなくてもいいだろう・・・。たまには、ベッカム二世といったらどうだ」と言ったが、「織田無道二世」ならわかるが、そこまで言ったら嘘になってしまうぜ」と、大笑いしたことだ。


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