umityanの日記
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2004年05月27日(木) 大往生とは何か?。

大往生とは何か?。
at 2004 05/27 13:43 編集

ここ数日、日中はすこぶる暑い。何でも、今年の夏は、例年以上に暑くなりそうとのこと。ああ、早く秋になって欲しいものだ。人間って、本当に現金なものかもしれない。秋になれば、冬を通り越して、春を恋しがる。そう、都合よく運ばないところが、人生である。山あり谷ありで、歯を食いしばって、暑さ、寒さも何のそので、克服していかねばならない。これぞ人間ですたい。

朝があり、昼が来て夜が来る。夜になると、睡眠をとって、鋭気を養う。生きていれば、また朝を迎えるわけだ。僕は時々、不思議に思うことがある。眠っているとき、夢を見ていないとならは、それは、死んでいる状態と一緒ではないのかと?。意識がないからだ。朝、目覚めなければ、もう永遠に、僕という存在は消滅してしまうわけだ。起きて、顔を洗うこともなく、飯を食べることもない。苦しまず、静かに眠って逝ってしまう。これが大往生というのかもしれない。僕も、そういう死に方がしたいと思えど、こればかりは、神のみぞ知るということになるのか。

先日、以前から仕事を依頼されていた社長さんが急逝した。なんでも、前夜は友人たちと焼き鳥を食べていたのだそうだ。急に気分が悪くなり、そのまま、病院で急逝。
血圧が高いとは聞いていたが、あまりにあっけない死。まだ、60歳だった。たとえ苦しまなくても、大往生とはいえないだろう。

まだ、若くして未亡人となった妻は、後始末で大童。本当に大変である。僕も、後始末の仕事を依頼されたが、ただただ、言葉もない。突然の死とはあまりにも残酷でむなしいではないか。

かくなれば、やはり、人間は残った人が苦労しないように、日々、身辺の整理をやっておく必要があるだろう。人のことばかり言っている僕はどうかといえば、からっきし、駄目。なにがどこにあって、どこになにがあるか、てんで、分からない。野となれ、山となれで、書類も本もごった返している。早くに僕が逝けば、おそらく、残った者が大変であることに変わりはない。

ただ、僕の救いといえば、借金がないことだろう。もちろん、財産もない。あえて、財産と言えば、僕の体と、いくばくかの本である。山ノ神がよく言っている。「あんた、役にも立たない、本は早く処分して」と。僕は言ってやるね。「ななななんんと言うことを。僕の唯一の財産なんだ。それを、処分しろとは、よく言えたものだ。それよりか、亡くなったばあ様の、遺品の整理の方が先じゃあないか」と。ばあさまの、古着やら、新聞紙やら、ガラクタの山を見ていると、もううんざりしてくる。

まあ、この程度で、今は済んでいるが、僕が病気で寝込みでもすると、様は変わっているだろう。めでたく退院して、我が家に戻ると、「あれ、いやに部屋がひろいなーーー。あっつ、俺の本はどこへ行った」と大騒ぎするに違いない。まあ、それでも、大喧嘩に至ることもないだろう。形あるものは無限ではないのだ。僕の体だって同じだ。責めることは止めよう。

要は、100年という、短い人生を、いかに楽しく生き、死ぬときに大往生であればいいわけだ。今はそう、思うことにしている。






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