umityanの日記
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2005年03月30日(水) 予期せぬ出来事。

3月が終わろうとしている。まだ、3ヶ月しか経っていないのに、身の回りに予期せぬことが頻発した。地震はその最たるのもだ。これぞまさしく人生。生きていれば否応なく、色んな事態に遭遇する。

叔父が入院した。母の弟である。故郷へ車を走らせ、母と見舞いに行った。集中治療室に叔父がいた。体中の至るところに管が這っていた。ベッドの回りには、おびただしい数の計器類。あるものは支柱にぶら下げられている。この痛々しい光景を見て、慟哭せずにはいられない。

幸い叔父には意識があった。また、耳も聞こえるようだ。ただ、口には大きな管が入れられていて、しゃべることは出来ない。母と僕は見舞いに来た事を告げた。叔父は目に涙を浮かべ、細った手を差し出した。母も僕もその手を握った。叔父は指に力をいれ、握り返してきた。嬉しかったのだろう。いつまでも、いつまでも、手を握りしめるので、僕たちは手を離すタイミングを失した。わが身の情けなさと、心ぼさと、恐怖心と安堵感と痛みが複雑に脳裏を支配しているのだろう。

僕は造り笑顔で、「おっちゃん、心配せんでいい。もうすぐ、この部屋から出られるから。一般病棟へ移れるから。大丈夫、大丈夫。しっかりせにゃーーー」と言葉をかけた。叔父はあいかわらず、目じりに涙を浮かべていた。看護婦さんがそっと、ガーゼで涙をふき取った。

叔父との思いではあまりに多すぎて、書ききれない。叔父は結婚して養子にはいった。奥方の両親に気をつかってか、よく、日曜日には釣りに出かけていた。僕が、そのお供をしたわけだ。夕方暗くなるまで、川や沼みたいなところで、釣り糸をたれた。叔父は、懇切丁寧に釣りの指導をしてくれた。また、色んな話をしてくれた。僕にとって釣りは、当時の楽しみの一つだった。

獲物を、「うてめご」とか言ったかなーーー?。竹で編んだ篭にいれ、えいこら、えいこらと畑道を歩いて帰った。獲物はそく、ばあさまや、奥方が料理した。僕は晩ご飯をよばれた後、家路についたものだ。叔父は名残惜しそうに僕を見送ってくれた。また、ある時は、我が家まで送り届けてくれた。当時は、小さかったせいか、理解できなかった。何故に、叔父が僕をいつまでも、引きとめようとするのか?。僕が、かわいい坊ちゃんというわけでも無かろうに。その理由が分かったのは、一端の大人になってからである。

叔父はご養子様。そして、この僕もそれに近い立場に身を投じた。「帰りたくない症候群」になるのもうなずける。そういえば、友人の安さんも、井さんも、同じような境遇。夜遊び好き、酒好き、女性好き、カラオケ好き、仕事好き。皆、帰りたくない症候群の仲間である。不思議なものだ。類は類をよぶのか?。ただ、叔父んの名誉のために、付け加えると、叔父は夜遊びやカラオケが好きというわけではなかった。時代背景が異なる。

昨夜、母から電話があった。ようやく、叔父の口に入れられていた管がはずれ、口も利けるようになり、回復に向かっているそうな。良かった。叔父よ頑張れ!!と、今、心から叫んでいる。

人間が避けて通れないものに死がある。おそかれ早かれ、誰もが宇宙の塵となっていく。僕の願いは、夢をみているような状態で、「すーーーつ」と、現世とおさらばしたいということである。それまでは、がむしゃらに生きてやるぞ。




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