大 将 日 記
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| 2004年12月04日(土) |
キッカケは佳奈子のひと言だった |
「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」
キッカケは、佳奈子が言い放ったこの一言だった。
船橋市民ミュージカル公演終了後、初めて皆で集まった時の事だ。 皆と言っても、本当は姉さん(夕鶴みき)と親方(坂田二郎)が二人で密会・・・ いや、只単に逢う約束をしていたところに、二郎と二人で逢う事に危険を感じた のか、はたまた体重差に怖れを起こしたか姉さんが私と山��姉妹に
「津田沼で食事(と言う名の飲酒)でもしよう」
と誘いのメールをして来たのだ。 その日、たまたま休みで免許の更新をしに幕張まで行ってた私は尻尾を振りなが ら津田沼に飛んで行ったのだ。
何故、尻尾を振っていたかと言うと、今年の夏は5〜9月までの間、とても充実 していた。船橋市民ミュージカルの稽古が毎週末に行われていたので、自由な時 間はあまり無かったが、元々好きだった舞台の稽古に参加出来るだけで楽しかっ た。
【何かひとつの大きな物を作る】
この楽しさは舞台だけでは無く、スポーツや勉学の世界でも共通する事で有って、 例えばスポーツ、特にプロ野球はリーグ優勝と日本一の為に1年間戦う。 勉学の世界は良く解らないが、学会とかでの発表とかの準備って大変な物なんで しょうね。その研究チームが新しい発見をして学会で発表するって大変な事なん でしょう。
優勝してビールをかけあう。学会で評価されて名誉を得る。これって努力が報わ れた結果なんですよね。
役者になる人って、人それぞれだから何が最終目標なのかは解りませんが、例え ば舞台が面白かったか面白くなかったかは別にしても、スポットライトを浴びて 大勢の方から拍手を頂くって言うのは最高の名誉だし、その後の打ち上げはビー ルかけみたいな物ですから、拍手と美酒の為に頑張ってる人も居ると思う。 私はまだどれが目標かは解らないが、自分が舞台上でやった何かひとつの演技が 笑いを取り、涙を誘い、頷かせる。そんな事が出来たら嬉しいと思い、その為の 『種』を探すのが稽古だと思っていたから、稽古が楽しくて楽しくて仕方が無か った。
9月12日に市民ミュージカル『金の船 銀の橋』が終わってからの私は、失恋 をしたかのように心にポッカリと穴が空いてしまったような錯覚さえ覚えた。 週末になって稽古に行かなくていいと思うと、舞台を成功せると言う同じ目的を 持ったとても素敵な仲間達に来年まで逢えないのかと思い、寂しい気持ちになっ ていたが、幸い市民ミュージカル参加者だから逢おうと思えば気軽に逢える距離 に住む仲間達なので、その後もどうせチョクチョク会うんだろうなぁとは思って いた。
しかし、この仲間でやりたい事は飲み会では無かった。 でも、それを個々で思ってはいたが、なかなか難しく言い出す者は居なかった。 演劇を始めるには、役者だけいればイイと言う訳では無い。スタッフがどうしても 必要になり、ましてや自主公演するとなればそれなりの経験が必要になるとも思っ ていた。
市民ミュージカル稽古後、私はよく兄貴(高木正晃)と居酒屋に行ってはいろんな 話しをしていた。舞台経験の無い彼が
「姉さんと一緒の舞台に立てて、しかも同じシーンに出られるのが嬉しい」
と良く言っていた。
私は姉さんと同じシーンで言葉を交わす事は無かったものの、確かに稽古場で共に 考え、共に唄い、共に励ましあえる事に喜びを感じていた。その彼女と交流を持て る事は私の財産になると信じて疑わなかった。 しかし、このメンバーで一緒にやりましょうとは、とてもとても言い出せる程の度 胸は自分には無かったのだ。
ある時、ふと思いついた事があった。
市民ミュージカルでは、Key Stationメンバーの中で彬と佳奈子と西葛西(笠井祐 弥)の3人が現代シーンにだけしか登場しない。そして私と親方、兄貴、サンタマ リア(大場裕介)は昔話のシーンにだけしか登場しないので、このメンバーは稽古 場でも違う場所で練習をしていた。
「もし、彬や佳奈子や西葛西がこっちに来ていたら、どんな風になっただろうか?」
舞台は自分の個性を出しながら演出家の要望に応えなくてはならない。だから、こ んな事を思ったからと言って真佑みちこ先生の演出を否定している訳では無いが、 ずっと彬や佳奈子や西葛西と同じシーンで出てみたい。姉さんと台詞を交わしてみ たい。大将・親方・兄貴のデブトリオで一席やらかしたい・・・・あっ、市民ミュージ カルではこの3人でやらかしたわ、そう言えば。(笑) そんな気持ちがず〜っと胸の中で心が叫び続けていた。
津田沼で5人で集まった時、話しはやっぱり市民ミュージカルの話しになる。 来場が800人を超えただの、兄貴が台詞を間違っただの(きっとこれは永遠に語 り継がれる事だな。うん)。立ち位置がああだ、踊りがこうだ、大将が素敵だった、 大将が格好良かった、大将が光ってた、親方の額も光ってただのって、語り合うと 本当にキリが無かった。
そこで、佳奈子が冒頭の言葉をボソっと吐いた。
「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」
こんなチャンスは絶対に無いと思った私は、一生懸命に皆を口説き始めた。
「やろうよ。絶対に! きっといい舞台が作れるって!」
と、言い出した物のそんな必要は全くと言っていい程に必要が無かった。全員一致 で簡単に発足話しが進んだのだ。
その月の月末、10月28日。姉さんの誕生日を祝おうと(懸命な読者はもう気が 付いていると思うが、誕生日祝いと言うのはあくまで名目・建前・言い逃れである) 津田沼にKey Stationメンバーが市民ミュージカル後、初めて全員集合した。 満場一致で私が大将を、兄貴が副大将を務める事になり、無事にKey Stationが決起 した訳である。
しかし、Key Stationと言う名前を付けるまでも随分と皆は悩んだのだが、それは HPの『Key Station?』にも書いてあるが、即興演劇だんすだんすだんすの主催者・ 今井 敦さんに姉さんがこのメンバーの事を話した時に
「こんなのどう?」
と言われ、それを知ったメンバーが誰一人として難色を示さずにあっさりと決まっ たのだった。
Key Stationは、本当にチョットしたキッカケの積み重なりによって誕生した。 あの時、何気なく佳奈子が「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」と言わなけ れば、私もまたきっと今頃、普通にのほほんと時間を過ごしていたかもしれない。
Key Stationのメンバーにはいろいろと感謝をしているが、とり訳あの時の佳奈子 には、言葉で言い尽くせぬ程の感謝をしている次第です。
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