大 将 日 記
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以前の南風日記で、毎年12月30日に恒例になっていた事がありまして、知人か らのリクエストもありましたから今年もやらせて頂きます。
私達に夢と希望と感動を与えてくれた著名人の方々の中に、残念ながら2005年 を迎える事が出来ずに今年も多くの方がお亡くなりになってしまいました。 そんな皆様に感謝の気持ちを込めてお送り致します。
2月11日 享年78歳
高木 均(声優) 虚血性心不全 この日、どれだけのジブリファンが泣いただろうか。アニメ界の王者・スタジオジ ブリのシンボルマークにもなっている『となりのトトロ』のトトロ役を演じたのが 高木氏であった。その他の代表作は『楽しいムーミン一家』のムーミンパパや、『銀 河鉄道999』のナレーションも担当していた。
3月20日 享年72歳 いかりや 長介(ザ・ドリフターズリーダー) 原発不明がん頚部(けいぶ)リンパ節転移 世の中にこんな悲しい事が有ったのかと思い知らされた。30〜40代の人達は、 子供の頃は絶対にこの人の声で週末を迎えていた筈だ。 1969年スタートの『8時だヨ!全員集合』で、当時としては天文学的な瞬間 視聴率70%を記録し、日本全国から絶大な人気を得た。 お客様に対して「オイッス!」と挨拶し、更に「声が小さい!」と言って再度挨 拶をさせ、最後には「静にしろ!」と言う決まり台詞に、お茶の間は大爆笑の渦 が巻き起こっていた。「いってみよー」「だめだこりゃ」は当時の流行語になった。 『8時だヨ!全員集合』の放送が終了してから約20年後の2001年にNHK 紅白歌合戦にも出場し、『踊る大捜査線』では味のあるキャラが人気だった。
写真左は、2003年7月19日、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レイン ボーブリッジを封鎖せよ!』の舞台あいさつを行った、いかりや長介(左)。 いかりや長介の復帰に、思わず涙ぐむ深津絵里(中央)と織田裕二(右)。 公の場に立つのは、これが最後になってしまった。
写真右は、2001年12月31日、NHK『紅白歌合戦』で熱唱するザ・ドリ フターズ。左から、志村けん・仲本工事・いかりや長介・加藤茶・高木ブー。
3月24日 享年67歳
三ツ矢 歌子(女優) 間質性肺炎
3月25日 享年75歳 下川 辰平(俳優) 敗血症 『太陽にほえろ!』で正義感が強く人情味あふれる刑事・長さんを演じていた。未 熟な後輩刑事達を叱咤激励し、時には石原裕次郎演じるボスの相談相手にもなった。 『太陽にほえろ!』出演前までは悪役が多く、生前「これに出ていなかったら、ずっ と斬(き)られ役でしたね」というほど、俳優人生の転機になる作品だった。 72年7月の番組スタート時から、82年に七曲署から異動するまで10年間に渡 り出演。「(他の刑事は)みんな殉職してるのに、なんでオレだけ生きてるんだろう」 と話した事もあったと言っていた。
写真左は、近年の下川辰平。右は『太陽にほえろ!』でのヒトコマ。
4月1日 享年73歳 中谷 一郎(俳優) 咽頭癌 『水戸黄門』で風車の弥七を演じた、俳優座所属の役者さんでした。
写真左は、近年の中谷一郎。 右は『水戸黄門』でのシーン。左が弥七役の中谷、右が初代黄門・故東野栄治郎。
4月7日 享年72歳
芦屋 雁之助(俳優) うっ血性心不全 『裸の大将』で主人公の天才画家・山下清そっくりの風ぼうとセリフ回しで話題を 集めたが、元々は漫才師からスタートし、コメディアンに転進した後に俳優となっ たのだが、娘を嫁に出す父親の心情を唄った『娘よ』の大ヒットで歌手としても活 躍する、関西を代表するタレントさんの一人でした。
4月15日 享年69歳
横山 光輝(漫画家) 火事による全身火傷 1956年に『鉄人28号』を発表し、アニメ化されて漫画家として不動の地位を 築く。その後61年『伊賀の影丸』、67年『ジャイアント・ロボ』、71年『バ ビル2世』等を発表し、72年スタートの『三国志』は連載期間が15年に及び、 単行本は60巻が出版された。 少女漫画でも『コメットさん』『紅ばら黒ばら』を発表するなど幅広いジャンルで 才能を発揮するが、少女漫画の超代表作はなんと言っても『魔法使いサリー』だ。 3年前に足を骨折してから、ずっと自宅で寝たきりでの生活が続き、横山輝夫本人 の寝煙草が原因の火事で逃げ遅れたものと見られています。
4月29日 享年71歳
小鹿 番(俳優) 急性腎不全 森光子主演の「放浪記」で、1961年の初演から菊田一夫役を演じ続けた名脇役 で、テレビドラマでは『前略おふくろ様』等にも出演していた。
5月15日 享年80歳
三橋 達也(俳優) 急性心筋梗塞
5月17日 享年40歳
鈴木 貴久(プロ野球近鉄バファローズコーチ) 急性気管支肺炎 1988年10月19日の川崎球場でのプロ野球ダブルヘッダー、ロッテvs近鉄戦 は、プロ野球ファンの間からは通称『10.19川崎劇場』と呼ばれて伝説になっている。 何故伝説になっているかの説明は省くが、この日に近鉄は2試合共勝てばリーグ優 勝。どちらか1試合でも負けるか引き分けるかで西武の優勝が決まる大事な試合だ った。その第一試合で負けていた近鉄は最終回に鈴木は20号本塁打を放ち、見事 に逆転をしたのである。 40歳、正に突然死だったとしか言いようが無く、前々日に腰を痛めたと言う情報 もあったが、司法解剖の結果死因は急性気管支肺炎。腰の痛みとは無関係だった。 何の予兆も無いまま死んで行った鈴木には、まだまだ若手を育てて欲しかった。
5月19日 享年91歳
金田一 春彦(国語学者) くも膜下出血 小学生から大学生。はたまた社会人になってからもこの人には皆さん大変にお世話 になったと思います。『明解国語辞典』や『新明解古語辞典』等国語辞典の編さん を手掛け、辞書には必ずこの人の名前が記されていた物です。方言やアクセント研 究の第一人者で、アクセントの歴史的、体系的変化を実証したほか、放送用語の分 かりやすい言い換えにも貢献した。 1963年の吉展ちゃん誘拐事件では、犯人の言葉から出身地方を判定するなど、 事件にかかわる言葉の鑑定でも知られた。 軽妙な語り口で『笑っていいとも』等のバラエティー番組等でも活躍した。
6月7日 享年82歳 コロムビア・トップ(元漫才師・元参院議員) 呼吸不全 1997年に胃癌が見つかり、胃の3分の2を除去する手術を受けた。その後、食 道癌や咽喉癌が見つかり、昨年7月にも手術を受けた。当時出演していた文化放送 の人気ラジオ番組『吉田照美のやる気MANMAN!』で癌の闘病を毎週報告し、 話題となった。 戦争中は加藤隼戦闘隊員としてアジア各地を転戦。終戦後、戦友だった池田喜作と 『青空トップ・ライト』の名前で漫才デビューした。50年に池田氏の死去に伴い、 声帯模写をしていた鳥屋二郎さんが2代目ライトとなってコンビ再結成。コロムビ アレコードの専属になって「コロムビア・トップ ライト」と改名。辛口の政治・ 社会風刺で人気を集めた。 幼い時に両親を亡くし、兄に育てられたことから、障害者施設の慰問など福祉に力 を入れ、それをきっかけに74年、参院全国区に立候補。初当選して二院クラブに 入った。80、83年の参院選に落選したが、作家野坂昭如氏が衆院選出馬で辞職 したため、83年に繰り上げ当選。続く89年に再選、参院議員を3期務めた。 平和への思いは強く、90年の国際平和協力法案には強硬に反対した。 心身障害者の援助を目的とした募金運動「あゆみの箱」の代表理事を長く務めた。
写真右は2001年2月、巨人宮崎キャンプで長嶋監督(右)と練習を見学中の物。
6月10日 享年73歳 レイ・チャールズ(米国歌手) 肝不全 サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』の英語バージョン『エリー・マイ ラブ』を唄った黒人歌手。
6月28日 享年44歳
野沢 尚(脚本家) 自殺
7月17日 享年75歳
鈴木 義司(漫画家) 悪性リンパ腫 テレビのバラエティー番組『お笑いマンガ道場』のレギュラー出演者として親しま れた。
7月22日 享年56歳
星 セント(漫才師) 右肺癌 1970、80年代に人気を集めた漫才コンビ、セント・ルイス。 「田園調布に家が建つ!」「右目で右目が見られるか」「すぐ捨てよう、夢と希望 と卒業証書」「世の中に不足するもの、水と油とあんたの努力」「義理と人情とお 中元」「オレたちに明日はない。キャッシュカードに残(ざん)はない」等のギャ グで人気を博した。 70年代後半から80年代初めにかけてビートたけしのツービートと東京漫才の人 気を2分したが、直後に漫才ブームが起こると、セントさんは「テレビにこびたく ない」と、持ち前のつっぱり精神で演芸番組の出演を拒否。ブームに背を向ける形 で「ゴドーを待ちながら」など新劇の舞台やドラマに積極的に出演し、劇団を結成 するなど独自の活動を展開した。
7月25日 享年88歳 下条 正巳(俳優) すい臓癌 映画『男はつらいよ』シリーズのおいちゃん役で、1974年の14作目から95 年の最終作(48作目)まで、故渥美清演じる寅さんを厳しく見守る「くるまや」 の頑固者の叔父役で出演した。俳優・下條アトムの父親。
写真右は、映画『男はつらいよ』のワンシーン
7月26日 享年52歳
中島 らも(作家・ミュージシャン) 脳挫傷
8月4日 享年74歳
渡辺 文雄(俳優) 急性呼吸不全
8月17日 享年40歳
徳永 善也(元チェッカーズ) 舌癌 1980年代に人気を集めたチェッカーズのドラマーで、クロベエの愛称で親しま れていた。
10月10日 享年52歳 クリストファー・リーブ(米国俳優) 心不全 人気映画『スーパーマン』の主演として人気を博し、1995年の落馬事故で半身 不随になった米国の俳優。
11月11日 享年75歳
ヤセル・アラファト(PLO議長) 死因未発表
FONT SIZE=5>12月18日 享年92歳
高松宮妃喜久子 様(皇族) 敗血症 天皇陛下の叔母に当たる高松宮妃喜久子様。 1911年(明治44年)12月26日、15代将軍徳川慶喜を父に持つ元貴族院 議員徳川慶久公爵の二女として誕生。つまり、徳川慶喜の孫な訳だ。
まだまだ全員は紹介しきれていませんが、今年も本当に多数の有名人が亡くなりま したね。個人的にはやはり、いかりや長介さんの死が一番悲しかったですかね。
私が何故このような事を毎年やっているかと言うと、死んで行った人っていつか忘 れられてしまうんですよね。悲しいけれど。今だって、このHPを見るまで忘れて いた人って居たと思うんですよ。 忘れてしまうのは仕方が無いと思うけれど、夢半ばで死んで行った人だって絶対に 居ると思うんです。
私は逸見政孝さんが亡くなった時に、この企画を考えたんです。 そして最後にこのHPを見てくれた人が、故人の冥福を祈ってくれたら嬉しいなぁ と思いました。
どうぞ最後に、今年亡くなった方々に目を閉じて手を合わせてあげて下さい。 お願いします。
今年亡くなった著名人の皆様、夢と希望と感動をありがとう。 2005年も私は精一杯生きてみようと思います。 どうぞ、安らかに。
合掌
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