大 将 日 記
DiaryINDEXpastwill


2005年07月01日(金) 3年目に実った母の作物

最近ウチの両親は・・・・と言うより母親がそうなのだが、畑仕事に精を出す事が多い。
その畑仕事を父がたまに手伝うと言った感じだ。その畑仕事とは【家庭菜園】とか
と言う生易しい物では無く、引退した農家の方から畑を借りてそこを耕し、そして
作りたい野菜を植えて育てているので、かなり本格的なようだ。
実は母は今年から思いつきで始めた訳では無く、もう2年前から畑をいじっている。
つまり魚屋を閉店させた直後から、そんな趣味を始めてしまったのだが、その理由
が「家計の足しにする為」と言う、まるでどん底の貧乏人が口にするような事を理
由にしていたのだが、今では見ている限り本人が凄く楽しんでやっているみたいな
のでまあいいのですが、今まで農作業は全くやって無かったとは言いませんが、見
様見真似でやっていたみたいなので、なかなか家計の足しになるような作物は収穫
出来ずにいて、去年までは肥料や種や苗代金の元が取れ無いのではないかと思うよ
うな物ばかりが食卓に並びました。しかも美味しく無いのです。

そんな中、畑仕事1年目からまあまあ見られる物が1つだけありました。
それはジャガイモでした。

1年目に収穫された作物はそれはそれは見るも無残な物ばかりで、母が気の毒にな
るような物ばかりでした。ウチの父はロマンチストなクセにデリカシーが無いので

「こんなんじゃ買った方が安いな」

と、極論をぶちまけて夫婦喧嘩が勃発する事がありました。

確かに買った方が安いのは解っているんです。暑い中毎日毎日朝早くから草取りを
したりしに行く姿を見ていましたから、そんなにお金をかけて体力を使ってまです
る事なんだろうかと私も思った事があったのは事実です。それに毎日、変な色と形
をしたキュウリとかトマトとかを持って来ては台所で洗って食べてみて、ガックリ
と落ち込んでいる母の事を何度も見ていたから父みたいな事を私はとても言えませ
んでした。

そんな畑仕事1年目の今頃のある日、見るも無残な程に小さいジャガイモが台所で
茹でられて、鍋の中で転がっていた。しかも所々に土がついたままだった。

「形もひどいし後で犬にやろうと思って茹でたのよ!」

と、不貞寝をしながら母が教えてくれました。

まあ土が付いてると言っても洗ってから茹でてる訳ですし、泥水で茹でた訳では無
いのですから、そんなに付いてる訳では無かった。仕事を終えて帰宅して缶ビール
を呑みながらナイターを見て、あきらかに買って来た枝豆をつまみにしていたので
すが、どんなに不味いのか試したくなった私はそのジャガイモをひとつ取ってみた。
固さはまあまあだけど、チョット大きめのアメリカンチェリーサイズのジャガイモ
に塩を付けて食べてみた。

ウマイ!!


まだ温かかったそのジャガイモにバターを塗り、塩をかけて食べてみた。

チョットだけ口の中でジャリジャリ言うが確かに
マイウー!!

不貞寝していた母が起きて来た時には、私は既に缶ビール3本をあけ、鍋のジャガ
イモは半分まで減っていた。

「いくら芋が好きでも、そんなの良く食べられるね」

母が呆れて言ったのだ。確かに何個かは食べられない物は有ったので、味見の時に
母はそれを何個か食べたのだろうけれど、見てくれは酷いが確かに旨いジャガイモ
でした。

「俺さ、小学4年生の時に水槽に土を入れて、ジャガイモを育てた事があるんだけ
ど、その時に採れたのってこんな感じの大きさだったんだよね。でもその土で翌年
に作ったら、何個か大きいのが出来たよ。だから来年は期待出来そうだね」

と言うと、母はとても喜んで、一緒にそのジャガイモを食べていました。
父はもうその頃は母の作物を食べるのを辞めていました。


翌年、キュウリもトマトもそれなりの形で収穫され、私のビールの友となりました
が、確かにまだまだ買った物の方が安くて美味しい物である事は間違いありません
でした。しかし2年目の夏には空豆がソコソコの出来で母の農作物は3年目に期待
がかかりました。

で、2年目のジャガイモですが、まだまだ小粒だったものの確実に味は掘り立ての
美味さを出せる立派な物になっていました。そのジャガイモを母は妹と一緒にコロッ
ケにしてくれました。これが本当にマイウーで、何個食べても飽きない味でした。

「コロッケ、美味しいなぁ」

と満足そうな顔をして食べていた父に母はこう言いました。

「私の作った物は食べないんじゃないの?」

更に追い討ちをかけて母は

「買った方が安くて美味しいんだから、お父さんのはマルエツで買って来た特売の
ジャガイモよ。私の作ったジャガイモじゃありません!」

と言ってしまったのです。
怒り出しそうな父だったのですが、他の家族全員が爆笑をしてしまい、怒るに怒れ
なくなった父。前年に自分が言ってしまった事を後悔していました。

そして3年目の今年。それはそれは見事な作物が数々収穫されまして、大地の恵みっ
てこんな味がするんだなぁと思える程に美味しい物を食べさせて貰い、やっと家計
の足しが出来て来たみたいで母は毎日楽しそうに畑に向かっています。

先日の暑い日、私がいつもより早く帰宅すると、玄関先にはこれぞ豊作と言わんば
かりのジャガイモが転がっていました。その日の晩御飯は勿論コロッケでした。
家族全員で食卓につくと、父の前にも確かに母の育てたジャガイモで作ったコロッ
ケが置かれました。私達兄妹が「マルエツの特売じゃないの?」と思っていたら母


「あまりに悔しかったらしくて、お父さんは今日一日中ずっと畑の草取りをしてく
れたから、もう許してあげたのよ」

真っ赤に日焼けした65歳のイエーイ・アキラは、美味そうにコロッケとビールを
楽しんでいました。

今年は空豆もキュウリもトマトも、今までの中で最高の出来です。
来年からも凄く楽しみですが、筍みたいにならなきゃいいが・・・


その筍の話しはまた後日【恐怖の筍家族】(仮題)として書かせて頂きます。


南 風 |MAILHomePage

My追加