扉のむこう - 2002年06月28日(金) 僕は毎日、病院へは車を使っている。 そして、駐車するところは病院の裏に決めている。 これは、親が見送りにしてくれるときに近いからだ。 正門までにはかなりの距離がある。 さて、裏の方に車をすすめていくと、 ある一角にすこし凹んだところがあって、その奥に扉が見える。 そこは裏の入り口とは違う。 光がさしこまずなんかほこり臭い感じで、湿気で充満している場所に思える。 その扉を使っている人間を見たことがなかった。 その日も同じ様に家をでて、いつもの道を通って、その場所を横切ろうとしたときに、僕は見てしまった。 霊柩車が止まっていたのだ。 僕はあの扉がなんのためにあるのか、誰のためにあるのかを悟って怖くなった。 扉のところになっていた人物を見て、それを自分と置き代えてしまった。 「僕もあそこの扉の前に立つことがあるのだろうか・・・」と。 両手に荷物を持って、家族らしき人たちと正門から退院していく人を見るたびにいたたまれない気持ちでいっぱいになる。 「僕はなにをすべきなのだろう。どうすべきなのだろう」と自問自答をする。 答えなんてでない。 答えがでないのは、僕が未熟なのかその問い自体が愚かなのかすらわからない。 そういうときに、最近はつくづくモノを考えることをしていないのだと気付かされる。 一つの英単語しかり 2次方程式しかり その日の食事しかり ドライブコースしかり 女性への対応しかり 自分への労わりしかり・・・ すべてを機械的に、あるときは事務的にこなしてそれで満足しきっている。 それじゃダメだ。 なぜか、あの扉のところにいかなくてはならない気がした。 「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹)の影響なのか、 あの場所へいけばなにか突破口が見えるかもしれない。(本では井戸だった) そういう風に思う反面、あの扉には近づいてはいけない気もする。 あの扉をくぐるのは、人間一人に対して一回なのかもしれない。 もしそうなら、僕がひとりで乗り込んで悠々とくぐってみせてやりたい。 そうすれば、僕はもう2度と「あの」扉に近づかずに済む。 また正門から顔をあげてでていけばいいのだ。 僕もいつかは「あの」扉を通る日がくるだろう。 と、言うことは2回通るかもしれないのか・・・。 うまく思考回路が働いていないみたいだ。 いや、きっと配線が違うのだろう。 自分の中の肉体的感覚と精神的感覚が合っていない様な気がして、 ここ数日はすこし変な気分だ。 -------------------------------------------------------------------- As if in a deram いとしい安らぎは夕暮れと共に失われ 静かな時間が気付かなかった隙間をひろげた 私にはそれが 今は塞げないことを知る 光の点滅が尾を引いて うしろへ流れては消えてゆき あなたの所から少しずつ遠のいているのを教える ・・・虚ろな窓には 何も出来ない私がそこにいた まどろみの午後いつものように そばに居て笑うあなたの夢を見た 窓の外を眺める私に微笑む あなたの夢を・・・ 足を止めてまだ薄暗い空を長い間見ていた ・・・どうして そうゆう時にかぎってうまく言えないのだろう まどろみの午後いつものように そばに居て笑うあなたの夢を見た 窓の外を眺める私に微笑む あなたの夢を・・・ as if in a dream 彼女はまだ眠っているのだろうか・・・ ...
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