要は残る人間が納得するかどうかだ。 - 2002年10月03日(木) 僕は他人の生死の選択をすることになった。 まぁ、他人といっても親のことなわけだけど。 道は二つに一つ。 「最後は、お前が決めなさい。」 夜、集まった親戚から言われたのは結局それだけだったような気がする。 一昨日、主治医から「大変危険な状態です。」と言われ、 その後二日間、病院に泊まった。 今日になって様態は持ち直したおかげで、今夜は家でゆっくり眠れそうだ。 ここ二日、いろんなことが頭をよぎった。 不安感とか孤独感とか絶望感のようなものにも襲われた。 それは、今がどうこうというわけではなくて、 もっと将来的な予想の中で生まれたものだった。 自分の選択が相手のことを考えた末の決断であったとしても、 実はそうでもないことも多い(と思う)。 それは仕方ないことだ。 その決断が本当によかったかは、ある程度結果が分からない限り判断することは難しい。 一日でも石にしがみついて生き続けるのか。 ある程度のところまで必死に生きて、潔く死ぬのか。 つまりは死に方の問題だ。 自分がどう死にたいのか選ぶということだ。 ふと思った。 「死に方を選べるということは幸せなことじゃないだろうか。」 僕は結局、二つのうちの一つの道を選んだ。 それは、僕が親の死に様を決めたということでもあるし、 同時に、僕がその死に方で納得したということでもある。 決定を下した今でも、悩み続けている。 そして、きっとかなりの間、迷い続けるだろうと思う。 要は残る人間が納得するかどうかだ。 ...
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