星 間 旅 行
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様々なものを見てきました。(さんずの川とかじゃないです) 人の見方、感じ方というのは、人の死の前で明らかにされると思いました。 祖父一人をとっても、いろいろな事をした人なので、様々な人々の感情があったようです。私も、祖父の知らされていない面を、知る羽目になり、自分の感情観察をするのが、興味深かったです。 お通夜の夜、集まった人の口からは、主に、怒り、妬み、蔑みなどが語られ、故人の亡骸の前とは思えない有様でした。泣いていたのは、後妻さんのみ・・・。 祖父はよく、人の葬儀の面倒などを見て、盛大にやっていたりしましたが、それに比べて本人の葬式との格差のなんと大きいこと、、、、。ちょっとかわいそうでしたが、自分のお葬式は自分でやれないので、しょうがないですよね・・・。最後の旅支度の装束とか、ポリエステルだったのは、なんとかしてあげたかったです。
亡骸を見て、命の不思議さを感じました。死んでしまえば、「物」という感じの存在感しかないのです。魂というものは、どこに行ってしまうのだろう。
お葬式という儀式も興味深かったです。臨済宗の寺内で行われたのですが、老師が、故人の生前のことを、長唄みたいに歌う?のですが、「○○(職業内容)し〜、○○(女性の隠喩か)をもてあそび〜、中略〜もっと人を慈しめー。カァーーーーー!!!」というような事を言っていたのには、正直、びっくりして、特に最後の喝では、飛び上がりそうになりました。(この宗派では供養で、死人に喝を入れるそうです。戻ってくるなという意味合いで)祖父は、この寺に結構寄付をしていて、祖父は愛人を連れてよく、お寺に遊びに行っていたみたいです。(老師が同類でなかったことを願いたい)ちなみに、享年84のとこ、82って間違えてましたケド。 お経を聞きながら、レゾナントチューニングしようかと思ったのですが、声質がよくなかったです。チベットのお経CDやゲートウェイの方がもっとビリビリきたので、お経の上手い、下手は確実にあると思います。 あとは、20人くらいで、お経を読んでいただいたので、イケメンのお坊さんを探して、ヒマつぶしをしていました。やはり、見栄えする雲水さんを、一番見えるとこに配置してます。ある意味、ショービジネスっぽいとこがあります。木魚や、銅鑼みたいな楽器もでてくるし。お坊さんが接待してくれる、ホストクラブとかあったらおもしろそうですね。悟りとか、釈迦の教えを語りながら、グラスを傾ける・・・。感動して涙ぐんだりして・・・。(ちょっと横道にそれました)
祖父には、かわいがってもらい、楽しい思い出もあるけれど、最後は愉快というしかないというか、笑えるというか、泣けないというか・・・。それはそれでいいのかもしれないです。私に、文句を言う権利はありません。
多分、祖父は学習障害のようなものを持っていたのだと思います。(読み書きができなかったので)そして、人を味方にするという意味では、天性のものがありました。彼自身が欠点を補うためにやった、常識では許されない行動に、根気よくつき合った家族たちもまた愛情にあふれていたのだと、感動することができました。おじいちゃん、ありがとう。
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