あーお腹いっぱい☆
実をゆーと、バリーが亡くなってからとゆーものの毎日泣いてた。 2週間位は何を見ても涙の嵐。 それから1ヶ月は思い出す度に涙が出て仕方なかった。 二ヶ月たったら大分落ち着いて。 それでも夜、眠る前に必ず思い出して涙が出た。 今、5ヶ月経って、驚くほど鮮明な記憶が残りつつ。 整理がついてきました。
悲しいという感情。 後悔と罪悪感。 聞こえない呼吸。熱。匂い。 居ないという存在。 自分では重すぎて、押しつぶされそうだった。
私という人間の罪と業を 小さな身体に一身に背負って犠牲になった。 何も残さず何も伝えず、消えていった可愛い子。 ・・・そういうふうにしか考えられなかった。情けないことに。
私よりももっと若い頃に大切なものをなくした母に聞いてみた。 「いつまで悲しいって思ってていいの?」
「悲しい気持ちは飴玉と一緒。好きなときに思い出せばいいの」
初七日とか四十九日とか一周忌とか。 区切りをつけなければいけないのかと思ってたけれど、ほっとした。 そんなのただの目安じゃん。 いつでも好きな時に思い出して、悲しい気持ちになっていいのね。 安心して浸りました。
そして辿り着いた私の悲しみの正体は 同じ家に居ながら最期を看取れなかったことです。 バリーはたった独りで、死んでいったかと思うと悲しい。 同じ家に居るんだからちょっと鳴いたらすぐに駆けつけたのに。 一晩中でも一日中でもずーっとずっと抱きしめていてあげたのに。
けれど。 バリーが鳴かなかった理由。 私と家族を呼ばなかった理由。 苦しまなかった理由。やっとわかりました。
必要なかったんだわ。きっと。
目の前に居なくても、側にいることを知ってたのね。 呼ばなくても、ずっとバリーのことを考えてるってわかってたのね。 目に見える救いが必要ない程、満ち足りた最期だったんだ。 ちっとも怖くなかったのね。 安心して眠れたんだね。 なんて立派なのかしら。 さすが私の犬!!アッパレ♪
あー気付くのが遅いね。いや、早い方かな? 死ぬって結局そーゆーこと。 生きるって多分そーゆーこと。 尊敬してるよ、バリーv誇りに思う。偉かったね。 お疲れ様〜っv 祝福を捧げます。世界中に感謝。幸せです。
さて、今度は 味わい尽くした悲しみを、ようやく消化したとゆー満足感に浸ることにします。
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