2004年02月11日(水) |
僕と彼女と彼女の生きる道 6話 |
火曜は酔いながらの帰宅。録画しておいた徹朗さんを観たけれど 酔っ払って観るドラマではないとあらためて思ったのでした。 そして翌日じっくりと拝見致しました。
僕と彼女と彼女の生きる道 6話
男友達からの電話に「一端切っても言い?」と聞いてトイレへ。 徹朗さんからの電話には会いに行く・・・う〜ん、うまい。 上手なドラマの作り方です。 「どうして来てくれたの?」 静かにみつめあう二人。いいです、こういう雰囲気。 実際はこんな沈黙には耐えられないからあれこれと言葉が出てしまうものだけれど 何も言わないでいるのっていいなと感じる私なのです。
今回は「父親」という存在が感じられました。 徹朗さんの父親、徹朗さんの上司、そして徹朗さん本人。 徹朗は自分の父親の背中と言葉をみて今まで来たけれど新たな自分に出会ったことに よって自分の父親の寂しさとむなしさを感じる。 父親も肩書きのなくなった何からも束縛もなくなった自分の立場に 戸惑い、そして過去の自分と息子の出世にすがりつく。
徹朗の上司は上司として徹朗を育ててきた言わば父親のような存在。 時には厳しく時には優しく徹朗を育てあげてきたのだろう。 今までの自分と同じ道を徹朗は歩いていくだろうと思っていたはず。 家庭も育児にもきっと自分の趣味みたいなものさえも背を向けて そんな自分に気づきながらも「上」を目指してきたのだろう。 ところが徹朗に思いがけず「辞めたい」と言われた時 自らの歩んできた道がなんだったのだろうと 何の迷いもなく新しい道を歩こうとしている徹朗に自分の存在、人生を 否定されたような気持ちになったのではないだろうか。
そして徹朗。凛ちゃんが学校に行く気持ちになるまで待つと言った優しさ。 凛ちゃんと少しでも長く一緒にいたいと言った優しさ。 その優しさを感じて凛ちゃんは学校に行こうと思えた。 「学校にはお父さんがいる」と。 そんな小さな背中に感じるたくましさと寂しさみたいなものを感じていたのでは ないだろうか。
一緒に見ていた人が凛ちゃんがみつけた 「学校の中にお父さんがいます」のところ。 「あっホントだ」とびっくりしていた。たぶん誰も気がついていなかっただろうな。 家とか学校とかなんでも「母親」を感じるもの。 「母校」とかといいますし。 「父親」って母親に比べると存在感がないもの。
「母親のいない寂しさをずっと抱えて生きていくだろう」
「1分1秒でも長く笑顔でいてほしい」
「愛されていると感じてほしい」
親が子供に教え願うことはこれではないかと。
親も子供もそして誰でも
「どの道を選ぶかよりも選んだ道でどう生きるかってことの方が重要」
なのだろうと気づかされる。
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