2004年10月11日(月) |
支離滅裂になっていく自分を抑えきれず、そのつもりもなく書くとこうなるという反面教師的日記(加筆 @ 22:25) |
気ニナルアノ娘の笑顔で一日を元気に過ごせそうに思えるみなさん、 こんばんは。
朝っぱらからおしげさんに会えてご機嫌だったチャボです、どうも。 まぁ、別に彼女の笑顔を見たワケでは無いんですがね‥‥でも十分。
昨日に続き、医療センターでのバイトの新入りヨクの研修。 んー、電話応対業務は取り敢えずokかな。 平日と休日と、案内する病院は違うけど、それは追々慣れるしかないし。 あとは‥‥施設の構造と窓閉めだな。 これは‥‥相棒に任せようv
> 死ぬな、殺すな、傷つくな 自殺を宣言するのって、深層ではそれを止めてもらいたいからそう宣言するもんだろ――。 ハナっから自殺する勇気も無いくせに、人の注目を集めたいだけだろ――。 つまり、構ってもらいたいだけだから、ンな弱音は無視しちまってもナンら構わないんだ――。
‥‥と人は言うだろが、果たしてそれは事実だろか? 例えそれが真に事実だとしても、確証を得られないうちはこれを認めるべきじゃないだろ。 所詮はネット上で吐き捨てられた言葉だから、客観的信憑性は限り無く薄い。 それでも、それ以外の言葉が見当たらないのなら、他に判断材料が無い。 だから、俺は自殺を危惧するわけで。
残念ながら、俺は生きることの苦しみも死ぬことのつらさについても、経験的に無知だろ。 知識としてそれらを知ってはいても、経験していない以上、俺の言葉に実体なんかあるわけが無い。 それでも俺は言うしかない。 殺させないために――生かすために。
昨夜、心友じぇと話した。 俺の言葉も心も届ききらないのって、やっぱり信用の問題でもあるんだろなってコトとか。 密な関係ならば、今俺が取ってる方法よりも別の方法を使えるだろし、 それは決して物理的な距離だけじゃなくて、心の距離感もあるんだろな。
パーソナルスペースという概念がある。 これは各個人に固有に存在するらしい。 このスペースは話す声量や立ち位置や相手との関係によって変化する。 恋人と密着するのはokでも満員電車でもまれるのはイヤとかいうのは、これに由来するとか。 俺が聞いた話だとこのパーソナルスペースというものは物理的な距離感しか指していなかった。 でも、やっぱり信用とか親しさとか、そういう心理的パーソナルスペースもあるんだろな。 ‥‥まぁ、俺のパーソナルスペースは極端に狭いんだけどね。 物理的にも心理的にもこのスペースが狭いから、誰に対しても近寄られることを厭わない。 だから――逆に近寄りがたさを感じるとどうしても切なくなるんだ。
‥‥‥‥‥‥‥‥。 メール、打つかなぁ‥‥。
> 続・死ぬな、殺すな、傷つくな ↑は、主旨がよく分からないので加筆。 これは本当にminakoさんだけに対してのものではなくて。
死人に価値は無い。 生きて、初めてその人に価値が生じる。 死んだあとでは、その価値は過去のものとなり、継続性も消滅する。 故に、生きてほしい。
それは、俺のバイト先である医療センターに勤める看護婦さんが、 俺にしきりに喫煙を辞めるように言うのと同じ気持ちからなのかもしれない。
《まだ若いんだから、寿命を縮めるようなコトしちゃダメ。 歳取ってヨボヨボになったら、後先のコトを考えずにいくらでも吸ってイイから》
別に俺に自殺願望があるわけじゃないし、それを分かってはいるだろけど、 自殺と同じようなことをしているんだと、会う度に言われる。 人を殺す脅威から人を守りたいという気持ちが、少なからずあるんだろな。 まぁ、看護婦だからそれは当然かv
‥‥って、またナニを言いたいんだか分からない内容だな。
取り敢えず。 嫌われても憎まれても信じられなくても、生きていてほしいと願うばかり。 赤の他人と思われてようが、俺にとっちゃそうじゃないんでね。 そう近くはない親戚が自殺したがってんだ‥‥止めない方が不思議じゃないかね。 身近な親戚のことを心配しても、身近じゃない親戚にそうしないのは、差別ってもんだろ。
そんな冷酷なことを、俺はしたくないし、するべきじゃない。 俺は、大人だからな。 大人は、身内を――家族を守るだろ。 それだけだ。 それ以上のことは、考えちゃいない――し、 だからと言って大切に思う相手を鳥かごに閉じ込めて独占する気も無い。 自由に、奔放に生きてほしい。 それだけを願い、それ以上のコトは構わない。 血筋の遠近を問わず、身内だろがナンだろが、俺は個人を尊重するからな。
生きろ。 その手をつかんでやるだけの余裕を、俺はいつでも持っていられるから。
> 至言(およそ)50 食わない生き物は殺さない
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