2004年10月17日(日) |
俺は無神論者なんでね |
お祭が催されてるとナンとなく気分が昂揚するみなさん、 こんばんは。
昂揚するだけでなく饒舌にもなるチャボです、どうも。 バイトに遅刻しなくてよかった‥‥。
バイト先医療センターで、イベント《健康まつり》。 1,000人をこえる客が来た‥‥らしい。 俺は普段通りに受付に居座って電話応対業務に専念してたから、 そういった最前線の情報については分からないし、まぁ別に俺の業務には差し支えない。 職員が忙しそうにセンター内を行ったり来たりする中で、 俺はただひたすらに黙々と椅子に座って電話を取ってはその時点で開いている医療機関を案内する。 まぁ‥‥俺様がいるから、職員さんはイベントの方に専念できるというワケだ。 ふっ、さすが俺様v
‥‥ってな具合に自分の役割を意識していないと眠っちまいそうなくらい、 電話の件数は相変わらず少ないんだよぅ‥‥ orz
> 天皇論 季刊誌《わしズム》を読んで思ったこと。 騒がれている天皇論の論旨は、国民にとって天皇が必要かどうかという点に過ぎないンじゃね? 必要ならばその存続の道を探す。 不要ならば文化財にでもしちまってイイ。 俺は‥‥少なくとも、国民に天皇はまだ必要だと思うが。
天皇なくして、未だに日本国民は自立できないだろ。 軍部に勝手に盛り立て上げられて開戦した第2次大戦終戦の折の昭和天皇の覚悟は見事だ。 その覚悟を、今の日本国民の誰が背負えるかと聞かれても、俺には思い浮かばない。 俺自身、背負う気は無いし。
国民と天皇は違う。 それは憲法を読めば明らかだろ。 日本国が行った行為の責任を現在においては一手に引き受けている天皇を失ったとき、 その責任の所在は国民に行かざるを得ないだろ――政府や国会を選ぶのは国民だからな。 そのとき、その責任を引き受けるのは国民の中の1個人であってはならない。 平等権を基本的人権の1つとし、憲法に明文化している以上、 自国の責任を負うのは国民全体に他ならない。 ってことは、首相の独断であろうとも、 その責任1つで全国民が縛り首になることもありえるわけで。 その覚悟が今の国民にあるかどうかと言えば、俺はこれを肯定できない。 ゆえに、天皇制の存続を俺は希望する。 無能な首相の独断にまで自分の人生を付き合せたくないからな。
存続の道。 んー‥‥側室復活させようかv
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