2002年07月18日(木) |
アメリカ人が意味するボランティア |
このネタは昔書いたかも知れない。でも最近つくづく「またかよ」 ということが多く続いているので、重なっているかも知れないが 書いておこうと思う。
ボランティアというと日本にいるときはアメリカにおけるそれが よく紹介されていたが、あの紹介され方は全くでもって誤りと 思って差し支えない。ボランティアというと彼らの美徳そのもの であるように聞こえるが、実際は非常にどろどろしてる。
大学生でいうボランティアというのは、外面を気にしているのと 就職活動のためにレジュメに書くためだ。他人を思いやって 無償で協力を申し出たり、行動することとは訳が違う。彼らは 基本的に見返りがなければ、全く動かない。まして自分の責任 範囲外であれば、例え自分が暇暇であろうとも絶対に手伝わない。 あれ、珍しく手伝ってくれる、というときはかならず上の人間、 もしくは周りに人間がいて、その行動を見て自分の評価があがる ときのみである。もしくはTVカメラでも動いる時に限られる。 だから非常にいやらしいし、こんな奴らと仕事してるのかと 思うと心からむかつく。
会社にいるとき、お客さんに「サービス」と言う言葉を説明するの にずいぶんと苦労をした。外資系の会社にいたせいか「サービス」 とはお金を出していただき、その対価として何を提供するかであり、 日本で俗に言う「サービスしておきますよ」とは全く異なったためだ。
思うに日本語でいうサービスは英語のボランティアに近いかも知れない。 というのも金銭のやりとりはないけど、行動と引き換えに将来の見返り を期待するからだ。
昔、中学、高校等でボランティアを必須にすると聞いて、なんでボランティア が必須なんだ?と矛盾を感じたことがあるが、なるほど日本語のボランティア も英語に近くなったのか、と今理解した。しかしながら本来(の意味であろう) voluntaryと言う言葉はもう存在しないのだろうか、それともぼくの根本的 な意味のとり違いなのだろうか?
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