2002年07月24日(水) |
パンチョ伊東氏が残したもの |
パンチョ伊東氏が死去したことは自分のHPで速報で流した (7月4日)。ここでは、彼について知らなかったことについて書く。
パンチョ伊東氏は元パリーグ広報部長で、ドラフト会議のときには どの球団が誰を指名したか、アナウンスをしていた。それとたまに だがプロ野球ニュースで大リーグを特集したり、日米野球をやった時 は、大リーグ通としてコメンテータとしてTVに写っていた。その頃は (正確にはつい昨日までは)、ただの日本の野球に関する仕事傍らに、 趣味で大リーグを観て、他の人よりは知識がある、もしくは昔から 観ていたただのおっさんだと思っていた。
ところが昨日マーティキーナート氏の7月11日付けのコラムを読んで 愕然とした。もし読んでない人がいたら以下のページを参照に是非 読んで欲しい。
http://journal.msn.co.jp/index/column02.htm
彼の記事によると、なんとメジャーのオールスターで彼の死に対して 追悼があったらしい。彼は日本だけでなく、アメリカでも本当に顔を 知られた存在だったのだ。
どんなスポーツ界でもいい。本場の国でこれほど認知され、親しみを もたれた人がいただろうか?日本ではただの大リーグ通で(づらが 印象的な)おっさんとしか扱われなかったのではないだろうか?確か に選手ではなかったが、本場アメリカの野球で長い間、少なくとも 関係者にこよなく愛された日本人は彼かも知れない。
今さらながら彼の偉大さに気づいた。パリーグはかれでもってして もっと早くから大リーグに人を送って、交流を増やせばパリーグ はもっと違った面をアピールできただろうに。やみくもにセリーグを ただ追いかけただけに見える点は非常に残念だ。
あらためてパンチョ伊東氏の冥福を祈る。
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